要は、世界の諸強国と資本による各個撃破を許さないように、迅速に結集・同盟して、同時に反乱を仕かけるということだ。反乱勢力の凝集性と作戦の持続性・首尾一貫性こそが、戦果をもたらすのだ。
産油諸国での国有化や国営化は、少なくとも原油採掘・生産に関する諸活動を一括して統括・管理するような国家装置の介入システムをつくり上げていた。
その6年後の1973年、エジプトとシリアの連合軍がイスラエルに攻撃を仕かけた(ヨム・キプール戦争)。が、やはり性能や技術にまさるイスラエルの兵器と巧みな戦術、精強な軍隊は、アラブの連合軍を撃退した。
これに対して、OAPECはエジプト・シリアと連合して、イスラエルを支援する(とりわけこの時期にイスラエルに補給物資を供給する)アメリカと西ヨーロッパ諸国に対して原油輸出の禁止措置を発動した。
このときを見計らったかのように、OPEC諸国(OAPEC構成国も含む)は同盟して、原油出荷(輸出)価格を一挙に引き上げた。世界市場での原油価格は73年1年間だけで3~4倍になった。
当時、アメリカの頼もしい同盟者であった、イランのパーレビ国王とその政権も、アラブとOPECの反乱を支持し、原油価格の引き上げに積極的に取り組んだ。いわば、アメリカが育て上げた諸勢力が成長して、アメリカを中心とする世界の権力に歯向かったわけだ。
西側諸国は危機に直面した。アラブ諸国の原油の禁輸措置とOPECによる原油出荷価格の引き上げで、それまで安価な石油製品の供給を土台として持続していた西側諸国の急速な経済成長(平均年5~6%)は、一気に停止し、深刻な停滞に陥った。
石油は、化学樹脂、電気・機械製造、運輸をはじめ農業など、あらゆる産業の不可欠のエネルギー源ならびに原料素材となっている。したがって、原油価格の急騰は、あらゆる生産物価格の急上昇をもたらした。世界市場の価格体系は構造転換した。
価格高騰(インフレイション)の一方で、経済は停滞(スタグネイション)する。その同時進行(ディレンマ:二重苦)は、スタグフレイションと呼ばれた。
スタグフレションはおよそ15年間続くことになった。
この事態が大きな要因の1つとなって、パクスアメリカーナの構造転換、大がかりな再構築が避けられなくなった。アメリカのヘゲモニーの終焉ではない。再組織化である。
アメリカの世界覇権の危機が、当時、盛んに論じられたが、その覇権はいまでも続いている。危機に陥ったのは、その時代まで効果的だった、アメリカの特殊なヘゲモニー装置であって、ヘゲモニーそのものではなかった。
それにしても、アメリカはそのとき深刻な危機に直面していたわけで、国家の中枢的装置であるCIAが、非常手段も含めてあらゆる術策を講じても世界市場での石油供給システムでの最優位を回復しようとしても、不思議ではなかった。