ハリーは修復中の絵画から削り取った微量の絵の具を専門家の分析に回して、成分を調べた。その結果にもとづいて、絵具の材料を手に入れるためにヨーロッパ中の画材店や絵の具商を巡って回った。ロンドン、パリ、アムステルダム、ミュンヘンの専門店を訪れ、ハリーは材料を発注した。
なかには、18世紀以前の古い絵画の修復にしか用いられない高価な顔料(鉱物質)もあった。それらに対しては、贋作の防止のためにとりわけ当局の監視の目が厳しく光っていた。だから、調達や販売を渋る商人も多かった。だが、ハリーは贋作を依頼してきた商人が提供する潤沢な資金をもとに、彼らに札束をつかませて絵の具の材料を入手していった。
映画では、ことに入手が難しい顔料材料として、青色の原料のコバルト塩の発注・購入のシーンを描いている。画材商は、コバルトはヨーロッパ中でも数グラムしかないし、当局の監督が厳しいので、銅の酸化物・塩化物で間に合わせた方がいいと勧めたが、ドノヴァンは大金(値段は1グラム何百ドル!)を積んでコバルト塩を手に入れた。
あるいは、レンブラントの青はコバルトそのものではなく、南アジア産の宝石ラピスラズリの粉末かもしれない。フェルメールの『青いターバンの少女』のターバンの色は、この宝石の粉末だったという。いずれにせよ、かなり高価な顔料・発色剤には変わりない。
そのほか、鉛白も危険な毒物(鉛中毒)なので、顔料としては調達できない。そこで、画材商は鉛のミニチュア人形を調達してハリーに売りつけた。ハリーはその鉛に塩酸をかけて酸化させ、鉛白をつくろうとした。
さらに、レンブラントらしい筆跡を残すために、当時使われていたのと同じ材料の獣毛(アライグマ、ウサギなど)の絵筆を探し回った。
問題は、17世紀の作品と評価されるような古い画布だった。ハリーは古美術商の店をはしごして、ようやくご大層な額に収められた古びた絵を見つて買い入れた。絵画そのものは無価値の同然だったが、骨董品としてこれまた大層な値段がついていた。
ドノヴァンは、アトリエとして借りた屋根裏部屋にその古びた絵をもち込み、いきなり額をぶち壊し、サイズを測ってキャンバスを枠から切り取った。絵を描くためには、元の絵を塗りつぶすか、裏地に下地塗りをするかしなければならない。
17世紀のネーデルラントでは、麻布や亜麻布は海外から(舶来)の高級品で、画家たちは船舶(帆船)の帆布の切れ端とか、目の細かい麻袋とか、あるいは誰かがキャンヴァスに描いた絵を塗りつぶしたり裏地を使ったりして、画布としていた。だから、ハリーが古い絵を塗りつぶしたり、裏を下地塗りして使っても別段かまわなかったし、かえってその方がもっともらしく見えた。
道具はそろったが、肖像画の具体的なイメイジづくりには壁が立ちはだかっていた。ハリーは、レンブラントの方法論や技法を頭に叩き込んで、イメイジトレイニングをした。外界のすべてをレンブラントの目で眺める訓練をした。