第5章 イングランド国民国家の形成
この章の目次
イングランド王位を獲得したアンリ(ヘンリー2世)は、大陸から呼集した従臣貴族団の強大な軍事力を背景に、有力貴族の権力を切り崩すために地方裁判官職を廃止し、州長官の審問をおこなった。この審問は、王に忠実従順な貴族からなる審問団が各州を巡察し、過去数年間の州統治の実態を調査するとともに、王領地の経営や地方領主の動向や教会組織の運営を調査するものだった。王権はこの審問によって州長官の不正や地方役人の怠慢をあばきたてて彼らの大半を罷免し、代わりに王権に忠実なメンバーによって置き換えていった。
さらに、巡回裁判を復活させ、ウェストミンスターに常設の本拠を置くようになった財務法院を中核として行財政および裁判制度の再編を進めた。とりわけ、王の裁判権を行使する各種の装置――王会や総督、財務法院、代官 bailli など――が地方裁判官法廷の上訴審として、各級の土地保有者たちのあいだの土地をめぐる紛争に関して王権が全面的に介入することになった。これによって、王権を拡張して地方領主――シェリフも含む――の裁判権を縮減した。裁判権の拡大は、当然、罰金や没収財産などの収入の増大をもたらした。
この改革で重要なのは、王権が、地方の有力領主の家臣となっていた中下級領主・騎士層をこれらの王権裁判所=行政機関に採用し、地方貴族の権力から切り離そうとしたことだった。これによって、彼らを王権の直属装置の官吏あるいは地方統治の担い手として組織化し、有力領主層の地方支配を解体ないし弱体化させようとしたのだ。
ところで、王室の中央統治装置は11世紀以来このかた、各地を巡回する王の意図によってそのつど創設された機関の自然発生的な集合体で、そのなかでも財務法院は王会と並ぶ王権の中央裁判所だった。王は必要に応じて顧問会議(諮問集会)
council を開いたが、通常は、大陸とブリテンの王領地を巡行する王に随行する聖俗の有力貴族が参集して王の諮問に応えた。直接授封貴族や高級僧侶、騎士、有力都市の代表は王の指名によって王の顧問会議
King's Council に参集した。
当時の観念では、これらの機関はどれも王の諮問機関がそのときどきの懸案に応じてとる形態にすぎないと考えられていた〔cf. Morton〕。13世紀には、これらが法観念上、自立化した貴族ではなく王直属官僚からなる諮問組織となり、王の顧問会議の特別な部門として位置づけられていったようだ。会議のメンバーは固定され始め、その恒常的な執行機関として尚書部 Chancery が組織されるようになった。この諮問組織はやがていくつかの部門、つまり日常的な執務の相談がおこなわれる枢密院 Privy Council や王座裁判所 King's Bench などに分化していくことになった。
聖俗の領主層、上級商人層は、こうした組織にリクルートされることによって王の直属官僚になり、宮廷での地位を固めていった。王権による権力集中は進展した。とはいえ、王領地の外部に広がる諸地方の統治は王の家政役人でまかないきれるわけではなく、地方役人の選出と行動には王権からの自立を保とうとする諸侯(有力貴族)の影響力がおよんでいた。
そして、王権による統治は、常設の地理的に固定した首府を中心にして組織されていたわけではなかった。王の主要な居城が移れば、宮廷や身分集会の本拠は状況に応じて地理的に移動したのだ。
それにしても、王権が強化されれば、諸侯の権威は王権との恩顧関係や宮廷での発言力によって左右されることになるので、宮廷の周囲にイングランド内の有力者が組織されることになった。その結果、王位の継承者が幼若である場合には、宮廷や諮問組織の運営は有力貴族派閥によって壟断されることにもつながった。
イングランドでは経済と王権との関係もまた、大陸とは異なって独特だった。
アンリ2世の治下では、イングランド全域の貨幣鋳造権が王室の独占となり、各地に分散していた造幣機能がロンドンに集中された〔cf. Röig〕。王室の監督下で特権を与えられた商人集団が造幣役となった。また、西フランクの君主によって征服活動によって王権が形成されたことから、内陸における地方有力領主たちや有力諸都市の関税高権――通行税の徴収権を含む――は強く抑制されることになったが、13世紀には地方的な関税高権は王権によって全面的に除去されることになった。これによって、イングランド内陸では多数の関税圏への分断状態は克服され、通行税も排除された〔cf. Röig〕。
ところで、王権の軍事力の編成も12世紀後半から転換していった。
それまでノルマンディ家のイングランド王権は、授封の条件として年40日間の領主貴族に軍役奉仕を要求していた。しかし、それではこの時代の戦役での兵員は間に合わなくなっていた。そこでアンリは、軍役の免除と引き代えに領主たちに賦課金――軍役免除税――の納入を求めた。軍役免除税による財政収入をもとに、王は傭兵によって必要な期間だけ軍事力を組織するようになった。ただし、しばらくのあいだは戦争にさいして、王は貴族に俸給を支払って将官職を割り当て、彼らに傭兵隊の指揮と運用をまかせていたようだ。
こうして、国王による戦役や領土内統治の費用は、通常、王室の収入、つまりは王領地からの収入や王権直轄の諸都市・商人団体からの賦課金などに加えて、軍役免除税からの収入でまかなわれるようになった。しかし、王国内にあまねく課税・徴税するシステムができあがるまでには、つまり常設の軍を編成維持できるようになるまでには、まだ長い時間が横たわっていた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成