第5章 イングランド国民国家の形成
この章の目次
やがて16世紀のテューダー王朝時代には、王権の統治装置(国家装置)と遠距離貿易を営むブルジョワとが結合して活気のある強力な利益共同体をつくりあげた。これこそが、以後数世紀間にイングランドの力を大きく飛躍させる確固とした基礎=権力ブロックなのであった。そして1580年頃には、イングランドは域外商人の支配を主要産業から駆逐し、遠距離貿易を組織するために域外諸地域に浸透する商業的能力を自己のものとしていた。王室財政主義から重商主義への転換を導いたのは、商業資本と王権との政治的・経済的同盟だったのだ。
このようにして、都市と商人は、絶対王政そしてまた国民国家の形成で積極的な役割を演じることになった。それは、ただ単に王権の中枢組織とだけでなく、王権の権威を地方に伝達し地方行財政の運営を担う官吏階層(地主階級)ともまた、商人・都市団体が利害ブロックを形成していくことを条件としていた。
他方、王権の支持基盤でもあった領主貴族層と中下級地主層、借地農の利益を保護するために、王と議会は穀物の生産と輸出を奨励する政策を追求するようになっていった。土地および農業経営にかかわる諸階級の利害は、再編されつつある王権の地方行政装置をつうじて貫かれていくことになった。14、15世紀をつうじて、伝統的な行政区
borough / county では州長官に代わって治安判事 Justice of the Peace が配置されるようになっていった。
この官職は各地方の小ジェントリや小地主から補任され、無給で地方行政を担ったが、彼らを指揮統括するようになっていったのは、貴族・有力ジェントリだった。大土地所有者である貴族やジェントリは、行政区の代表として議会に席を占めるようになった。彼らの利害は、議会や王権の中枢に直接到達した。彼らは、国家装置としての議会や宮廷、行財政装置のなかで都市の代表と接近していった。宮廷や議会などの国家装置をつうじて、こうした土地所有階級・農業企業家階級と商人階級とのあいだでも利害の調整や融合――利権や官職の取引きや買収、さらには婚姻や派閥形成による家系・人脈の結合――がはかられるようになっていった。
都市でもしだいに治安判事が意思決定ならびに行政権限を掌握していった。つまり、都市の有力商人たちが組織・統制していた自治機関
council の権限は、王権の下級行政装置としての治安判事層の統制下に移っていった。とはいえ、都市部で有力な名望家商人が治安判事職に補任されるかぎり、都市行政が担う利害は変わらなかった。こうして、都市が自立的な統治機関として単独におこなっていた行財政活動が、いまや国民的規模で組織化されていく王権統治機構の一環として位置づけられるようになった。
ところで、毛織物業の原料=羊毛はイングランド内部の牧羊業によって生産・供給されたから、ことに16世紀のミドランド地方では、羊毛産業の発達にともなって、一定割合の農耕地――それまでは主に穀物を栽培していた――の牧草地・牧羊地への転換が引き起こされた。つまり囲い込みの展開であって、それまでは細分化され混在していた農民の保有地の多くが、有力な企業家によって統合され、垣根=境界で仕切られていった。囲い込みは農民共有地にもおよんだ。
それまで零細農民たちは、村落の共有地での共同農作業に参加することで村落全体の収穫物の分配にあずかり、やっと生活を支えていたが、囲い込みによって、こうした農村の生産=分配関係から追い立てられ、牧羊あるいは新たに成長を始めた羊毛工業――羊毛刈取りや原毛の精製選別、梱包・運搬の作業者、素織布の織り手など――の賃金労働者になるか、流浪するしかなかった。
農村や新たな都市集落にしだいに定着し始めた羊毛産業は、こうした人口を吸収し切れなかった。流浪する者たちは穀物収穫などの季節労働者となるか、都市での雑役にありつこうとした。ゆえに、部分的だが、流民の増加や下層民衆の窮乏化などによる社会秩序の揺らぎが生じその組み直しがおこなわれた。そのひとつが16世紀中葉の救貧諸法 Poor Laws だった。それは教区単位での貧窮層の強制的な労働訓練と拘留・抑圧政策だったが、この政策の担い手が治安判事職だった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成