第5章 イングランド国民国家の形成
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すでに見たように、17世紀中葉から末葉にかけてのイングランド国家の変容は、要するに世界貿易でのイングランド国民の優位の獲得をめざすレジーム、つまり重商主義的政策により適合した構造への転換であった。この転換過程では、世界貿易での優位の獲得をめざすための条件として、商業資本の国民的ブロックとしてのより強い凝集、支配的諸階級の国民的規模での政治的統合、国家財政装置・金融制度の確立が意識的に追求された。
とりわけ共和政とクロムウェル軍事独裁の期間には、ヨーロッパでのイングランドの優位を追求するためにすぐれて攻撃的な政策が打ち出された。1651年の航海法は、イングランドに輸入される全商品がイングランド船舶か産出地の船舶で輸送されなければならないものと規定し、仲介貿易で優位に立つネーデルラントへの攻撃を企図していた。イングランドの貿易関係からネーデルラント商人による中継貿易を排除して、世界貿易と海運での優越を手に入れようとしたのだが、それは客観的には、世界市場のなかで自己中心的な分業体系 das System der autozentrierte Arbeitsteilung を組織しようとしたのだ〔cf. Menzen / Senghaas〕。この政策は、60年と63年の航海法、一貫した海軍の増強政策、私掠船の援用などによって補強され、植民地との交易のイングランド商業資本による独占をめざす、いわゆる「航海諸法体制」――重商主義的貿易体制――を築きあげることになる〔村岡 / 川北〕。
イングランド王権はまた、1640年にエスパーニャ王権から独立を宣言したポルトゥガル王権と同盟条約を結び、エスパーニャに対するポルトゥガルの独立を軍事的に裏打ちし、その海外領土からエスパーニャ王権の支配を排除するように仕向けた。イングランドはアジアでの香辛料貿易の権益をネーデルラントに奪われたため、ブラジルでの砂糖農園開発と砂糖貿易を進めるポルトゥガルとの交易のメリットは大きかった。さらに、1663年から65年にかけてのエスパーニャ王軍のポルトゥガルへの侵入にさいして、イングランドは軍事的支援と引き換えに、ポルトゥガルからインドのボンベイと北アフリカのタンジールを獲得した〔cf. Vincent / Straddling〕。これが南アジアと地中海への橋頭堡となったのはいうまでもない。
イングランドはポルトゥガルを政治的=軍事的に支配しながら貿易関係を構築することによって、ポルトゥガルの本国と植民地をロンドンを頂点とする社会的分業体系に組み込んでいった。
ポルトゥガル経済のイングランドへの従属はこののちにどんどん構造化していく。世界分業におけるこの従属構造は、デイヴィッド・リカードウの「貿易における比較優位の理論」によってイデオロギー的に正当化された。すなわち、イングランドは工業製品や金融サーヴィスを輸出し、ポルトゥガルは葡萄酒や農産物を輸出するという役割が固定化されていった。
リカードウの比較優位の経済理論は、世界貿易において自国の「最も得意な分野の生産」に特化・集中するような貿易構造を構築することで、自国と貿易相手国それぞれの労働生産性が増大され、互いにより高品質の財やサービスと高い利益・収益を享受・獲得できるようになると提唱する。しかし、それは世界的規模での社会的分業体系で付加価値生産性の低い産業に特化することによって、社会的分業体系における従属構造が深化してしまうという帰結を呼び寄せることになるのだ。
イングランドとしてはポルトゥガルを自己中心的な分業構造に組み込んだわけで、不均等貿易によって剰余価値の国内への移転の仕組みを構築したことになった。
このようなイングランド商業資本と国家による攻撃的な政策体系の背景には、16世紀から始まったイングランドの産業と貿易の構造転換があった。国内にさらに発達した工業部門を育成するためには、自国を中心とする世界的な貿易体制と社会的分業構造を創出する必要があったのだ。
世界経済のなかで自己中心的な分業体系と貿易関係を組織するためには、いくつかの条件を満たさなければならない。勢力範囲の拡大をめざす商業資本(貿易企業家階級)を統合された国民的ブロックに結集させること、生産性の高い多様・雑多な工業を勃興させること、多様な商品作物を生産する生産性の高い農業を成長させること、本国に従属的な国外勢力圏と輸出市場を獲得することなどである。農業振興によって政治的に支配的な貴族・地主階級の所得を増大させ、彼らの富を製造業と貿易への投資に振り向けることで、域内の金融経済循環が促進され、工業と貿易の成長を誘導するとともに、商業資本と土地利害との政治的同盟をさらに強固なものにすることができるはずだった。
こうして、世界市場をめぐる諸国家の競争のなかで戦い抜くために強固な国民的凝集、強固な国家構造を生み出すことになるはずだった。
庶民院をつうじてロンドンを中心とする有力都市商人層の政治的結集が組織され、彼らと土地経営層とがジェントルマンとしての親和性を深め、経済的かつ家系的に融合してきたことは、すでに見たとおりである。
さて、工業では製紙、石鹸、ガラス、金属製品の製造が成長し、とりわけウールニットや薄手の完成品を生産する新毛織物の輸出額は、17世紀中葉には、未完成品としての旧毛織物(素織布)の貿易額を追い越そうとしていた。また、製鉄やアルコール蒸留などで木炭から石炭への燃料=エネルギー源の転換が進んだ――国内の森林資源は枯渇が目立ち始めていたのだ。農業では、麻や菜種、大青、煙草などの換金作物の栽培や沼沢地の干拓が試みられた。干拓事業には、港湾諸都市と内陸諸都市を結ぶ運河の開削や河川水運交通の発達が結びついていた。そして、東インド会社などの貿易企業の設立や北アメリカへの植民活動によって海外貿易の拠点を創出するとともに、海洋権力を駆使して西インド諸島を占領・領有しならが、エスパーニャ領ラテンアメリカに浸透して貿易関係をつくりあげていった。
イングランドの貿易の比重は、ヨーロッパ大陸からアメリカ大陸東岸部・カリブ海および大西洋岸アフリカを相手とするものに移り始めた。ヨーロッパへの輸出額も伸びたが、大西洋貿易の方がはるかに急速に伸びたのだ。ヨーロッパ大陸に比べて遅れて始まった製造業や換金作物農業にとっては、製造業や農業の基盤が幼弱なアメリカの方が有利な貿易相手だったからだ。これがイングランドの《自己中心化
Autozentralisierung 》の独特な形態だった〔cf. Menzen / Senghaas〕。
イングランド人はネーデルラントやフランスと競争しながらアメリカへの植民活動を進め、カナダ、ニューイングランド、ニューファウンドランドに定住地をつくって農業や精糖などの製造業と商業を育成し、カリブ海諸島では外国船や外国人定住地からの掠奪からさとうきび栽培に富みの獲得手法を転換した。本国産の旧来の毛織物(素織布)はほとんどヨーロッパ大陸に輸出され続けたが、新毛織物や金属・ガラス製品、日用雑貨などの工業製品の多くはアメリカに輸出され、その見返りに煙草、砂糖、コーヒー豆などが直接イングランドに輸入され、ロンドン、リヴァプール、ブリストルという港湾都市を経由してヨーロッパ諸地域に再輸出された。植民地産品は希少品で莫大な利潤をもたらした。
こうして、大西洋における仲介・中継貿易のイニシアティヴがイングランド商業資本の手に掌握されていった。イングランド商業資本は、大西洋の両岸諸地域の産業と消費の一定範囲を、イングランド主要諸都市を軸心とする貿易ネットワークに組織化する権力を手にしたのだ。その首座に位置するのはロンドンだった。
世界貿易での優位は、競争相手の輸送船舶をねらった私掠船を含む海軍による強襲強奪や通商破壊によっても追求された。海外拠点の確保をめぐっては、ヨーロッパ諸国民の軍事上・通商上の対抗が深まっていった。とりわけエスパーニャ領中南米はカトーカンブレジ講和条約の適用外とされたため、そこにはイングランド人、ネーデルラント人、フランス人などが入り込み、それぞれ領地を奪い取って自らの勢力圏に取り込み始めた。
こうして、植民地や支配圏域の奪い合い、つまりは侵略競争と再分割闘争が開始され、ヨーロッパ諸国家(または国家を形成しつつある政治体)は、ときには宗教的敵対を理由とし、またときには王権による領地の相続権や支配権の正統性を理由として、海外ならびにヨーロッパ内の周辺諸地域を侵略し服属させようとした。共和政以降のアイアランドへの侵略と過酷な暴力による支配も、以上の文脈のなかに位置づけて理解すべきだろう。
エスパーニャ王権は深刻な王室財政の危機や海外領土の蚕食などによって弱体化し、「帝国」は解体しかけていた。その衰退によって生じた諸国家体系における力関係の変化に乗じようとしていたのが、軍事力と官僚制の増強を進めていたフランス王権だった。とりわけエスパーニャ領ネーデルラント(フランデルン、ブラバント)への影響力の拡大は、ヨーロッパの権力構造を決定的に変えそうな雲行きだった。
実はフランス王国は内部に深刻な分裂要因をはらんでいた。だが、イングランドから見れば、フランス王権の攻撃的な対外政策は、ヨーロッパおよびアメリカ・大西洋地域でかつてのエスパーニャのような権力を獲得しそうな脅威と思われた。そして名誉革命レジームは、大陸でブルボン王朝の拡張主義の脅威にさらされていたネーデルラントとイングランドとの政治的・軍事的同盟(メアリーとウィリアムの共同王位)を基盤としていた。それは、イングランド国家とフランス王権との対抗という枠組みを固定化することになった。ゆえに、17世紀末から18世紀前葉まで、海外植民地およびヨーロッパにおいて、勢力圏争奪をめぐるイングランド=ネーデルラント連合とフランス王権との戦争が繰り返されていくことになった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成