ニュウヨークの生存者たちを救出するために、ヘリ部隊がやって来た。氷雪におおわれた世界都市の廃墟の上空にヘリが飛び交う。そのシーンを背景に、メクシコシティの合衆国臨時政府の公式声明が流された。
声明を読み上げるのは、政府避難=移転作戦の最中に事故死した大統領に代わっ、政権の指導を引き継いだ前副大統領だった。
新しい大統領の声明は、気候大変動によってきのうまでの世界システムが崩壊して、新たな国際環境と生存様式が突如生まれ出ようとしていることを告げていた。
豊かな「北部の先進諸国」――北アメリカやヨーロッパ、日本を含む東アジアの中・高緯度地帯の諸国家と経済――は完全に滅亡した。
先日来、アメリカ・メクシコ国境では合衆国側でなく、メクシコ政府側が、北から押し寄せる「難民」の国境突破を押しとどめ阻止しようとしていた。もはや貧富の格差が問題ではなくなった。生き残るか死滅するか、ぎりぎりの選択を迫られていたのだ。
アメリカ大統領府は、メクシコ政府によって国内に合衆国の臨時政府を樹することを許容してもらい、また国境を開いてアメリカ市民を受け入れてもらうために、合衆国政府と企業・銀行が保有していた熱帯・亜熱帯地域の途上国に対する債権を帳消しにした。途上国側の累積債務は亡くなった。それまで世界経済を支配する権力の土台となっていた金融資産は意味を失った。
北の先進諸国の政府や企業によるに南の諸国の支配や収奪の仕組み、すなわち現代資本主義のメカニズムは、先進諸国の市民や企業、政府自らのの英知によってではなく、大気候変動によって、より平等な仕組みに組み換えられたのだ。皮肉なものである。
合衆国というネイションは、自己の生存の破局の危機に追い詰められてはじめて、途上諸国に対する身勝手で横暴な権利や権益を放棄する必要に目覚めたのである。
この価値観と構造の転換の様相を描き出したシーンに拍手を送りたい。
ところで、この状況での将来の問題として、従来の国家領土のほとんどを氷雪によって奪われ、まともに生存できる国家領土を失ったUSA国民・国家は、そもそも生き残れるのだろうか。
近代国家にとって、国境システムによって閉鎖的に組織されたナショナルな市民社会があってはじめて、意味のある政治的空間、すなわち国家の存在根拠が成り立つのだ。
してみれば、その意味では、領土のほぼ全域を氷雪に覆われ、資本主義的産業・経済の形態はおろか、そもそも生物としての人類の生存の基盤を失ってしまった政治体は、国家たりうるのか。国家を運営していたエリート層もその存立基盤を完全に失っているのだ。かつての領土内には政治的に凝集する住民集団が存在できないのである。
そうなれば、国家財政のもとになる課税と税収すらそもそも存在しなくなる。財政資金がなければ、軍や行政機関の再編成と運用すらおぼつかない。
まさに現代文明に判断・選択を迫る問題提起である。
今日、国連の気候変動パネルでは、バヌアツやフィジー、ナウルなどの島嶼諸国が、温暖化で海面が上昇しつつあるため国土が水没しつつある危機を訴えている。そして、全世界での効果的な温暖化対策、化石燃料の消費量の大幅縮減を求めている。
こうした切実な要求に対してオバマ先験以前のアメリカ歴代政府は、化石燃料消費の制限などの温暖化対策を拒否してきた。そういう実態に対して、この映画は鋭い批判の矢を放っているといえるだろう。