ドイツ航空隊の襲来はひっきりなしだったから、ブリテン空軍飛行士は十分に休養をとる余裕はなかった。疲労がたまっていった。疲労は空戦での集中力の持続を妨げ、反応の迅速さを奪っていった。やがて優秀なヴェテランパイロットたちが、撃墜で死亡し、あるいは重傷を負って戦列から離脱していった。
ついに、ブリテン南部では正規の空軍飛行場、航空基地は甚大なダメイジを受けたため、戦闘機部隊は民間の飛行クラブに拠点を移すことになった。民間飛行クラブについては、ドイツの情報部はその所在地を把握していなかったので、ブリテン空軍戦闘機の爆撃による被害は減少していった。
飛行士の訓練・育成の仕組みも動き出した。そして、ドイツ軍に征服された地域から亡命してきた軍人たちがブリテン軍の指揮下の連合軍部隊に組織されていった。ポーランド人、チェコスロヴァキア人、トルコ人、フランス人・・・。空軍の戦闘機部隊に配属され、訓練を受けて有能な飛行士になる者もいた。
ドイツの爆撃による戦闘機の損耗を補充するための生産体制、性能を高めるための改良技術や開発も進められた。
とかくするうちに、4つの空域をカヴァーする迎撃戦闘機編隊(グループ)の組織化、運用システム、それら相互の連携システムも整ってきた。
それまでドイツ軍機は、ブリテン島南部(とりわけ南東部)に攻撃を集中してきた。これに対応して、ブリテン側の爆撃への防御・迎撃態勢が、それなりにできあがっていた。そこで、ドイツ空軍は意表をつくような奇襲作戦を案出した。ノルウェイ(ナチスの占領下で軍事同盟を結んでいた)から爆撃機編隊を出撃させて、イングランド北東部のヨークシャー北部の軍事基地と飛行場を破壊しようというのだ。
ところが、この動きをブリテン軍情報部は捕捉して、空軍もこの方面の警戒とレイダー観測を強化していた。迎撃用戦闘機連隊も万全の準備をしていた。
そこにLWのハインケル爆撃機編隊(+護衛戦闘機隊)が、北海上空を渡ってきた。
ブリテン空軍は、戦闘機隊を上空に待機させておいて、爆撃隊をミドゥルスバラ沖合いまで引きつけてから、奇襲攻撃を仕かけた。ドイツ空軍は奇襲を仕かけるつもりが、逆に奇襲的な迎撃に遭遇して、きわめて甚大な被害を被ってしまった。このときの被害でハインケル爆撃機の大半と、護衛戦闘機の過半数を失ってしまった。
*スピットファイア( Spitfire )は、本来、「口や身体から炎を噴き出すような怒りっぽい性格」「かんしゃくもち」を意味する。あまりいい意味ではない。この愛称は、戦闘機の開発設計主任が、自分の娘のニックネイムにちなんで名づけたものだという。
ドイツ空軍のメッサーシュミットやシュトゥーカが「力任せに飛ぶ」と言われるのに対して、スピットファイアは「航空力学で飛ぶ」と言われた。エンジン性能も優秀だったが、全体に丸い翼端は猛禽類の翼の性能を真似た形状で、安定した中空姿勢と瞬時の方向転換や回転性能を誇った。
* ドイツ軍の空爆を担ったのは爆撃機ハインケル He.111 だった。ただし、機体が大きく爆弾を搭載したので飛行速度は遅く、ブリテン空戦闘機に捕捉銃撃されやすかった。護衛としてついたメッサーシュミットの速度と違いすぎて、十分な防御体制がとれなかったという。