空軍大戦略 目次
バトゥル オヴ ブリテン
原題について
見どころ
あらすじ
誤算の帰結
ブリテンの誤算
大陸からの撤退
ヒトラーの願望、…誤算
アシカ作戦の底の浅さ
航空戦の展開
戦況局面の評価
映像に見る航空戦
とにかく時間稼ぎを
海峡の戦いから本島爆撃へ
強いられた消耗戦
ベルリン空爆とナチスの激昂
ロンドン空爆
ブリテン空軍の狙い
女性の進出
戦局の転換
バトゥル・オヴ・ブリテンの戦史上の意味
映画に登場する航空機
「戦略」という用語について
おススメのサイト
戦史映画
史上最大の作戦
パリは燃えているか
戦艦ビスマルク撃沈!

■付記■ 映画に登場する航空機

  この作品では、実物の戦闘機や爆撃機を飛ばして(部分的に模型など)撮影しているので、搭乗する航空機の種類はきわめて限られている。私の見るところ、実際に短時間でも空を飛ばすことができたのは、おそらく3種類だろう。スッピトファイア( MkU )、メッサーシュミット( 109E )、ハインケル( He111 )だけ。
  そこで、ここでは、実際の空戦の様子も大まかに取り入れて、映像を補いながら、かつ映像と大きな懸隔がない程度にしてある。映像から想像できる程度に説明してきた。
  実際にはずっと多くの種類の航空機が作戦に参加していた。
  実写映像による映画作りの難しさが、ここに現れている。映像化できるのは、実際の歴史のなかのできごとのごく一部分でしかないのだ。それでも、この映画の制作陣の調査研究や努力は、深い尊敬に値する。

  彼らは、約3か月間の空戦の推移を誇張もなく淡々と描いている。空戦のスペクタクルは迫力満点だが、最近のアクション映画に比べれば、すごく地味で控えめだ。そこには大きなドラマがないようにも見える。制作陣はセンセイショナルな表現を抑えているから。
  だが、空の戦史上、この3か月間の動きは、第2次世界戦争のその後の展開に決定的で持続的な影響をもたらすことになった。ナチスドイツの戦線の後退や綻びは、まさに1940年10月に始まっていたのだ。この大戦争の最初の1年間で、いわば将来の帰趨というか趨勢が方向づけられた。
  つまりは、戦略なき電撃戦( Blitzkrieg )の限界がそこに明白に現れていた。
  まさに、ブリッツ=稲妻(雷閃)という名のとおり、一瞬で決着をつけるという作戦であって、それ以外の場合には、長期化したときには、しだいに袋小路にはまり込むしかない作戦だった。
  この大戦争で枢軸国側(日・独)はいずれも「短期決戦」を挑み、相手に長期=持久戦に持ち込まれた。短期決戦のもくろみが破れた時点で、戦争政策は失敗だった。ただちに撤収停戦にもち込むべきだった。しかし、それぞれの国内情勢、国際的軍事関係などは、それを許さなかった。自縄自縛のまま、破局の底に滑り落ちていくしかなかった。

●「戦略」という用語について●

  映画の邦題は「空軍大戦略」である。戦略という言葉がずいぶん安売りされている。
  最近は、企業戦略だのマーケティング戦略だのと、戦略という用語が売れ残りのバナナ並みに安売りされている。
  戦略( strategem / strategy )とは、敵対ないし競争・戦闘関係において、長期的で全体的な展望視座から自己の戦力を配置運用していく方法論ないし構想( concept )のことだ。構造的で体系的な視点での作戦構想だ。長期的とは通常、1年以上の期間で、全体的とはその軍事単位(個々の作戦単位ではなく、軍事単位の集合全体)がかかわる総体的状況を視野に入れるということだ。
  ただし、その軍事単位(国家などの政治体)そのものの存亡がかかっている場合には、数か月間の短期間でも「戦略的視座」が持ち込まれる。

  その意味では、数か月間のブリテンの戦いは、国民国家ブリテンの存亡がかかっている一連の戦闘だから、邦題が大きな間違いをおかしているわけではない。軍事単位そのものの存亡を賭けた戦略は、「大戦略( grand strategy )と呼ぶこともできるから。
  しかし、冒頭で述べたように、双方ともに戦略的展望が欠如している状況で戦争が始まったのだから、映画の内容とは一致しない邦題だ。


  これに対して、戦術(tactics)とは、短期的で個別的・局部的な視座で戦力を運用する方法、構想を意味する。
  「戦術は戦略の手段である」と言われることがあるが、大雑把にはそうだが、必ずしもそうであるとは限らない。戦略手段とか戦術手段(兵器や装備のことではなく)という用語が別にあるくらいだから。

  さて、国家の軍事組織はさまざまなレヴェル(次元)の編成単位からなっている。伝統的な陸軍歩兵隊の組織は、小隊 ・中隊 ・大隊 ・連隊(長は大佐)・旅団(指揮官は准将。だいたい2個連隊以上)・師団(指揮官は少将。だいたい4個旅団)。
  師団よりも大きな作戦単位は、軍団ないし方面軍(指揮官は中将以上) とされてきた。
  ところで旅団の「旅」は――たびとは関係ない――兵員数の規模を示す漢語で、師団の「師」も同じ。古代中国では、一番古い記録だと、「百をもって一旅となし、五旅をもって一師となす」とあるという。やがて周代には500人の集団が1旅で、2500人が1師とされた。師には「戦闘集団」という意味がある。

  このような作戦単位のうち、17世紀から19世紀案では、ひとまとまりの自立的な作戦単位となることができるのは連隊であった。そこで、戦略というべき構想や計画を立案運用できるのは、連隊以上の単位となるだろう。
  しかし、第2次世界戦争では戦闘や作戦地域がきわめて広大で状況が複合的になったので、自立的な作戦単位が一挙に巨大化した。1個連隊では、作戦のごく一部しか担えなくなった。そこで、戦略というべきものは、師団を飛び越えて軍団・方面軍規模以上の単位で立案・運用されるようになったと見られる。
  ただし、大きな次元の戦略(全体戦略)は、下位システムの戦略(部分戦略ないし下位戦略)に分割されると見ることもできる。この下位戦略を、全体の指揮者から見て「戦術」と呼び、戦略の下位システムと位置づける見方もある。

  空軍では、ブリテンの場合、戦闘機1機が陸軍小隊に相当し、5〜6機で1個中隊、4個中隊以上を1個連隊と呼んでいたようだ。戦闘機1機を動かすのに、給油や整備要員などを含めて5〜10人前後が必要なので、1機で小隊(最小作戦単位)としたようだが、中世の騎士が10人前後のティームで1つの作戦単位をなしたことを模倣しているようだ。ここにも貴族的伝統が残っている。【⇒ヨーロッパの軍事史における騎士の役割

前のページへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済
SF・近未来世界