それでも、ヒトラーはブリテンが停戦交渉に着く余地を残すために、飛行場や航空基地への攻撃を命じたが、都市や民間施設への爆撃は原則として禁じていたという。講和を迫るための攻撃であって、破壊そのものが目的ではないという外交姿勢を見せるためだった。
しかし、誤算はあるもので、ある夜間爆撃行動で、中型爆撃機ハインケル He111 の編隊は強風に流されて、標的となった場所から大きくそれてロンドン市のテムズ上空にまで行ってしまった。爆撃隊員たちは、帰還の燃料を確保するために――もはや旋回移動できないので、積載した爆弾は落として機の負荷を軽くしなければ、重くて燃料が足りず帰還できないことから――、そのままロンドン上空で爆弾を投下してしまった。
なにしろ、北フランスのカレーの基地から出撃してイングランド南部まで攻撃を仕かけて戻ると、往復400キロメートルにもおよぶ長距離飛行になってしまうのだ。爆弾を搭載したままノロノロ飛んでいれば、ブリテン空軍に追いつかれて撃墜されてしまう。無事に戻るための苦肉の策だったようだ。しかし、爆撃された方はたまらない。
まったくの偶然で、都市爆撃が始まってしまった。
爆撃隊の隊長たちはドイツ空軍指令部から召還命令を受けて、ベルリンに出頭して叱責を受けることになった。
ところが、彼らがベルリンに到着した夜、ブリテン空軍による空爆がおこなわれた。形ばかりの爆撃だったが、それはヒトラーとナチスをひどく憤慨させた。
というのも、ヒトラーとナチスの指導者たちは、戦況(の情報や報道)さえも政治的プロパガンダ、大衆操作の一環として位置づけていたからだ。
ある軍事行動や戦果それ自体が戦局にとってどういう意味や効果をもつかということよりも、それがナチスの支配(のためのプロパガンダ)にとってどういう意味や効果をおよぼすか、要するに「軍や大衆にとっての見え方」にこだわっていた。
だから、ドイツ帝国の首都に空爆を加えるということは、「ドイツの優越と繁栄」を領導するナチスの権威に泥を塗る行為にほかならなかった。であるがゆえに、許しがたい暴挙だったのだ。
というわけで、ヒトラーはベルリン空爆の報復として、大規模で執拗な首都ロンドンの空爆を命じた。ロンドンへの攻撃と破壊という事態がもたらす「政治的・心理的効果」つまりは「見え方」を最重要視しての決定だった。
「ブリテンの首都が甚大な打撃を受けている」という事態の見え方が重要だった。それが戦局に与える効果については、冷静に熟慮しなかった。
映像はそのように描き出している。
ところが、それはドイツ空軍の大きな誤算であって、戦略上の陥穽となった。
現代ヨーロッパでは、とりわけ戦時には、たがいに住民を国民として排他的に組織化して戦う体制を築き上げるために、マスメディアの使い方が課題となった。ことに戦果の報道では。日本はこの点で、虚偽と過誤の最悪の典型だった。つまり国民の「好戦的気分」や優越感を醸し出す必要があるからだ。
戦時にはどのようなレジームの国家でもイデオロギー統制・報道統制をおこなうが、それが戦争をめぐる政治的判断を必然的に誤らせることになるようだ。
だが戦果を誇大宣伝する方法は、政治家や軍自らも誇大宣伝に酔ってしまうため、戦争をめぐる政治的判断を誤らせることになった。空爆の被害を最も冷静に報道したのは、BBCだったという。