あのジャッカルがライヴァル視して挑戦してくるほどのテロリストの人格とその足跡をでっち上げるために、恐ろしく複雑なプロット=物語が準備されることになった。
何よりも、悪辣、残虐な人格を持つ経歴と、戦慄するような「実績=犯歴」(過去の暗殺事件)をこしらえなけれなならなかった。とはいえ、CIAがそのような犯罪を起こすわけにはいかない。
それらしく見せる事件を仕立て上げて、かつデイヴィッド・ウェブにその記憶をインプリントしなければならなかった。
ゆえに、映画に出てくるボーンが遂行したとされる殺戮は、すべて虚構である。が、ボーン自身(としての意識で)は事実と記憶している。
だが、ボーンという人物そのものは、ヴェトナム戦争末期のアメリカ軍に在籍していた。現地アメリカ軍の将校たちのグループが組織していた武器横流し、密輸、麻薬売買のネットワークの一角を占めていた悪辣な人物だった。CIAは、この生きていても害悪しか残さない人物を葬り、そのあとがまにウェブ演じる人物を置き換えた。
であるがゆえに、ボーン(ウェブ)とこの工作に絡んだエイジェントたちは、軍内部の構造汚職の事実と証拠をつかんでいるため、かの将校たち――やがてアメリカに帰国して、軍や政府機関の要職に出世していく――から、付け狙われ、たえず暗殺の危険を背負い込むことになった。
とにかく、そういう形で、ジェイムズ・ボーン(実体はデイヴィッド・ウェブ)は、ジャッカルとその秘密組織と正面から対決する局面に立ちいたる。だが、ボーンは謀略にはまったか、偶然か、あるいはその両方で、地中海で奇襲にあい銃撃され、頭部に銃弾を受けてしまった。銃弾は脳の一部に傷害=障害を与えたため、ボーンは記憶喪失になってしまった。
映画の物語はこの事件の直後から始まる。
以上がこの映画作品のプロローグだ。
ついでに作品をより深く理解するために、いくつかの予備情報を追加する。
ジャッカル=カルロスは、あらゆる武器・兵器の扱い方や格闘技、毒薬、戦法をマスターした天才だ。才能は世界の主要な言語をほとんど使いこなせる語学力。加えて、化学、物理学、歴史や文学についても、世界の一流大学で教授として指導できるほどの達人だ。相手の弱点や動揺を見抜く動物的な直感力にも卓越している。
この男と一対一で対決できる「人間兵器」としてつくられたジェイムズ・ボーン=デイヴィッド・ウェブもまた、ほとんど同じ能力を備えた天才児だ。
ただ、ボーンは経験が浅い分、やや不利かもしれないが、若さと体力では勝る。
そして、物語は、1970~80年代に注目された「人格の多重化ないし分裂」の問題を扱ったサイコスリラーでもあって、ウェブが記憶喪失のなかで本来の自分を取り戻し、アイデンティティを回復していく物語でもある。
ボーン=ウェブは、記憶が戻るにつれて、「残虐な暗殺者ボーン」という人為的にインプリントされた虚構記憶の方を先に回復してしまう。だが、深層心理では、本来の(ごく良識的な人物としての)ウェブの人格や感性、理性がはたらいている。ゆえに、おぞましい「自分の過去」に脅え悩む。
一方、CIAの作戦部長は、違法な作戦遂行の証拠をもみ消すために、ボーンの抹殺を企図してCIAのヨーロッパ組織を動かす。こうしてボーンは身内のCIAのエイジェントたちから命を狙われるハメに陥った。
だが、ボーンはCIA内部に良心的な協力者を見つけ、やがて、本来の自分を取り戻す治療やリハビリに取り組むことになる。
この原作には、のちに映画として制作された「模造記憶」=「トータルリコール」など、経験記憶が「人格」ないしアイデンティティをつくり出すという視点が織り込まれている。その点では、ラドラムの作品は、フィリップ・K・ディックなどのSFを受け継ぎながら、その後のサイコスリラーやサイバーパンクなどに橋渡しする先駆、いや中継者でもある。