だが、冷戦終焉後には、強引なユニラテラリズム(唯一の超大国としての威信や価値観の押し付け)に走りがちになった。
いきおい、アメリカの世界政策は、批判がないままに虚飾まるごとそのまま「まかり通る」場合が多くなったように見える。
本来であれば、先進諸国家は、レジームの選択という論点が背景に退いた以上、世界の諸国家や諸地域のあいだの格差や貧困の解消とか環境問題の解決に向けて世界をリードするべきだあったろう。
だが、1980年代後半以降の世界の最も主だった動きは、金融の節度なき自由化とカジノ資本主義化のトレンドだったように見える。これはIT化がともなっていた。
冷戦に勝ち残ったからには、自らの優越をさらに露骨に貫徹させ、弱肉強食の論理を押し貫こうと、傲岸不遜に振舞うようになった。自己陶酔か。
シニカルな批判精神をもつ読者層にとっては、ポスト冷戦時代には面白みのあるスパイ物や国際政治スリラーはなくなってしまった。面白みを亡くした現実の世界構造そのままに、この構造を反映する国際政治スリラーはしごくつまらないものになってしまった。たとえば、トム・クランシー名で公刊される小説は駄作のパレイドとさえいわれた。
だが、自己抑制なき「アメリカなるもの」の浮かれ走りは、2001年のアメリカ枢要部へのテロで一頓挫した。そして、アメリカ民主主義の自己批判・自己抑制のフィードバック回路が麻痺してしまった。
明白になったのは、冷戦の終焉=西側陣営の勝利は、安定した世界秩序や平和、暴力の抑制を少しももたらしはしなかった。相変わらず、世界政治は、自己目的化した暴力と権謀術数、駆け引き、謀略、面子争いに振り回されている。
アメリカはイラクで組織した暴力を振り回したが、そこで安定した秩序も平和も構築できなかった。むしろ、分裂と憎悪の増殖循環を生み出しただけだった。その結果、今では過激な「純粋なイスラム」を自称する暴力が中東を席巻しているではないか。
彼らは、資本主義的世界システムが生み出した格差と敵対的な分配形態の結果を苗床にして、別の暴力と抑圧、恐怖支配の構造を広げようとしている。
さて、もちろん冷戦時代には「荒唐無稽」な冒険物語・活劇を冷戦構造と結びつければ何とかなるというアクロバティックな「キワモノ」も多かった。冷戦後は、そういうサーカスのような物語を脱して、地に足がついた、冷厳な世界構造や権力構造をあばくような物語が生まれてもよさそうなものだった。だが、そうはならなかった。
人類はいまや、利潤や優位をもとめて過剰に争い合う世界の仕組みに戦慄し、足がすくんでしまっているようだ。
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