「世界のプロレタリアート団結せよ!」というイヴァンのスローガンは、空しく打ち砕かれてしまいました。
しかし他方で、楽団メンバーのあいだでは、恐ろしいほどの求心力を持つスローガンが携帯電話で交信されていました。
「レアのために、シャトレ劇場に参集せよ!」というプロトコルです。
アンドレイとサーシャは、レアのためにアンヌと「ヴァイオリン協奏曲」を演奏するから楽団員を呼集してほしいと願っていました。
たまたまサーシャがトランペッター父子と出会ったため、彼らをつうじて楽団員の携帯電話に「全員集合」のメイルメッセイジとして送信することができたのです。
翌日の朝から、このメッセイジはパリの街に散開したメンバーのあいだを駆けめぐりました。
こうして、開演時間前にほとんどのメンバーは劇場に集まることができました。けれども、あの欲張りのトランペッター父子は、非常呼集を発したくせに、金儲け商売にかまけていて、顔を見せていません。
ステイジの最上段近くのトランペッターの空席を見て、アンドレイはため息をつきました。
「仕方がない、始めよう」と指揮棒を振り上げようとしたそのとき、2人のトランペッターが現れました。
ようやく、めでたく全員が顔をそろえることができたようです。
アンドレイはアンヌとアイコンタクトを交わすと、指揮を開始しました。
ところが、第1楽章が始まってみると、ステイジのあちらこちらからピッチや調子・テンポが恐ろしいほどに外れた雑音が奏でられ始めました。
いくらもとは名手たちでも、30年間も公演の場に出ることもなく、しかも前日にさえまともなリハーサルをしなかった楽団員が、きちんと演奏ができるほど音楽は甘くはありません。
愕然とするアンドレイ。唖然としたアンヌ。
しかし、楽団員たちはしかるべき修正のすべもなく演奏を続けました。
ところが劇場には、事前の宣伝広告が大成功して、聴衆が詰めかけ満席。しかも、数多くの名士、政財界の有力者や音楽関係者が集まっていました。
彼らの表情は、演奏開始直後、凍りつきました。「何かの冗談だろう」という表情。
しかし、何フレイズか続くと、しだいに落胆の表情に変わっていきました。劇場支配人、オリヴィエの顔面が蒼白だったことは言うまでもありません。
ところが、アンヌがヴァイオリンソロを奏で始めると、会場の雰囲気は激変ししました。
あの天才ヴァイオリニスト、レアが詳細に書き込みをした楽譜できっちりイメイジトレイニングをしてきたアンヌ。
そのソロは力強くて美しい。哀愁のこもった旋律が響きます。聴衆は一気に引き込まれていきました。
数瞬前のひどいオケの演奏は、人びとの頭から吹き飛んでいきました。
聴衆よりも大きな衝撃を受けたのは、オケのメンバーでした。「レアの音だ!」と楽団員たちは驚きます。
それが催眠というか覚醒効果をもたらしたのでしょうか。いや喜劇だからですね。
彼らの頭のなかに鞭が響いたようでした。アンヌのソロに率いられるように、オケの伴奏は統一がとれて一挙に美しくなります。