この曲は感傷と哀愁に満ちていて、心が奥深くから揺さぶられる。
けれども、こんな奇想天外なファンタジーのテーマとして演奏され、シーンの背景で流れて、ファンタジーを盛り上げ泣ける物語に使われるなんて、驚きだし感激です。
何よりもよかったのは、ヴァイオリンソロを弾く美女が、孤高の探求者であることです。
ここでは、アンヌの美貌が、求道的な音楽家としての存在イメイジを妨げることはありません。ぴったりとはまっています。
女優、メラニー・ローランの迫真の演技、研鑽の賜物でしょう。
そして、この協奏曲にこだわる指揮者、アンドレイを演じるロシア人(ポーランド出身)俳優、アレクセイ・クシュコフの存在感がすごい。
見るからにロシア人という雰囲気ですが、繊細で理知的、自己抑制に富んだ雰囲気。しかも、弱さや苦悩を抱える奥深い人間性を見事に表現し切っているのです。
彼ならいかにも「ヴァイオリン協奏曲」を、このように思い入れたっぷりに、苦悩と希望とを2つながら込めて指揮しそうに見えます。そして、喜劇としても、お涙ちょうだいの、このヨーロッパ的スケイルの浪花節に、この曲がこんなにぴったり合うなんて、と思うのです。
ここには、ハリウッドがアメリカのスタッフを集めて、どれほど努力しようと表現できない「ヨーロッパの空気」が漂っています。
この空気の重さと厚みは、ヨーロッパでないと表現できないものなのでしょう。けれども、舞台はパリですが、ヨーロッパの中心部ではなく、どこか鄙びた辺境の匂いがするような気がします。
その匂いの出所の中心は、この「ヴァイオリン協奏曲」ではないでしょうか。
冒頭では、物語がモーツァルトのピアノ協奏曲から始まり、洗練されたヨーロッパの華やかさが描かれるのかと一瞬思ったのです。
ところがなんと、うらぶれたロシア人たちの苦悩の物語が展開されていくではありませんか。けれども、苦悩しながらも、生活者としての彼らは十分にしたたかです。
パリのシャトレ劇場を騙し、ロシアンマフィアの総裁を騙し、パリに「出稼ぎ」に行くというのですから。
美しいメロドラマとドタバタ喜劇の両面を兼ね備えた、この物語を背景で支えるメロディもまた、このヴァイオリン協奏曲です。
監督、ラデュ・ミヘレアニュ(ルーマニア出身のフランス人)は、物語の展開を構想したとき、なぜ、この曲を主題に選んだのでしょうか。なぜ、ロシア人を主人公に据えたのでしょうか。この2つは単なる偶然だったのでしょうか。
どうでもいいことだが、私はこれから考え続けるでしょう。
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