その頃、北イタリアでは、多数のミラーノやヴェネツィア、ジェーノヴァ、フィレンツェなど、都市国家が互いに独立の軍事単位として対立し、傭兵軍を使って領土や勢力圏をめぐって闘争・競争し合うという構造ができあがっていました。
今日の国民国家からすれば「おもちゃ」にも満たない政治体ですが、それにしても中央政府をもつ集権的な政治体が独立の軍事的単位として振る舞い、領土や勢力圏をめぐって互いに争うというシステムは、すでに13世紀のイタリアにはあったのです。
ヨーロッパのほかの地方に比べて、400年も早い状況です。
都市国家には特有の「富国強兵」の観念があって、普段はより多くの農業利潤をめざして農民を酷使する地主貴族や農場経営者も、飢饉や疫病、戦争などの危機にさいしては、下層民衆にも食糧の分配を組織化したのです。
それぞれの域内の人口の減少は、労働力や生産性の衰退につながり、競争力を低下させるからです。
例外はジェーノヴァです。
徹底的な拝金主義、我利我利の利潤追求がまかり通っていて、都市貴族どうし、地主どうしの内部で対立する派閥をつくって抗争し、これに民衆が絡み合うという構図でした。
都市国家の内部での共通利害とか利益の共有はすっかり後回しどころか、念頭にもない、というありさまだったといいます。
都市の内部での利害の調整とか、分配の調整とかは問題外でした。
飢饉のさい、民衆に食糧を配給するなどは「もってのほか」ということで、この都市のペスト禍による死亡率は人口の6割を超えたとか。
ただし、この頃の資本主義には、身分制とか旧来からの都市や農村の因習・しきたり(「古き良き法」)が強固にまといついていました。
というよりも、日本の歴史教科書の説明とは違い、20世紀半ばまでは、現実の「近代資本主義的経済」には身分特権や差別・格差が、その内的な要因として、分かちがたく絡みついていたのです。
身分的束縛が強いのと引き換えに、温情主義的・家父長的な保護とか規制が、地主によるあまりに過酷な搾取や収奪を抑制していました。
他方で身分制度や古い因習は、民衆の抵抗を封じ込め、格差とか支配秩序を維持するための装置でもありました。
それから5、6世紀たった20世紀はじめには、この地方の農業における資本家的経営はずっとドライになっていました。このとき真の意味でヨーロッパに「産業革命」が起きていたのです。
19世紀まで数世紀間あまり変化のなかった農村社会に、機械化の波が押し寄せ、それまでよりもはるかに熾烈さを増した世界市場での競争が襲いかかってきたのです。
身分的束縛が弱まった反面で、地主たちも農民に対する温情を薄め、彼らの貧窮には冷淡になっていきました。