それから年月が流れ、第1次世界戦争が終わりました。
徴兵されて前線に送られていたオルモが村に帰ってきます。そして、農場の倉庫でアルフレードと再会します。
そのとき、アルフレードは将校の軍服を着ていましたが、実は彼は戦地への派遣を免れたのです。
父親が当局関係者に大金をばら撒いて、農場の跡継ぎとして戦地派遣兵役を免除させたのでした。同じ兵役に就いた若者たちの命の価値には、財産や身分で分けられた格差があるのです。
これについてアルフレードは屈折した思いをもっていました。しかし、父親には面と向かっては逆らいませんでした。
戦争後、地主と農民との敵対や紛争はさらに激しくなります。
そして地主層の内部の格差と優勝劣敗もまたひどくなります。
強硬派の地主たちは武装して農民組合(幹部や事務所)を攻撃しようといきり立ち、教会で集会を開きます。
経営絵環境のひどさへの鬱憤や憤懣、苦悩(痛み)を、弱い階級に向けて発散するとでもいうのでしょうか。
アルフレードは反対し、穏健派とともに立ち去ります。
しかし、多くの地主たちは農民抑圧のために騎馬警察隊を利用します。
それでもの農民の抵抗を抑えられないと知るや、さらに過激化して、農村でも台頭してきたファシスト団体を農村支配のために利用することさえためらわなくなります。
ベルリングィエリ農場では、農民を押さえつけて労働強化を実行するために、農場管理人を雇い入れます。それがアッティラです。
下層民出身のアッティラは粗暴ですが、権威には従順で、卑屈なまでに権力者に取り入る術は心得ているようです。
彼は本能的直感で地位上昇のチャンスを嗅ぎとり、あるいは鬱憤晴らしの機会と見たのか、いち早くファシスト党に加盟しました。
暴力をためらわないアッティラは、またたくまに農村のファシスト団体の幹部に成り上がっていきます。
ファシズム運動の担い手の多くは、下層階級出身の中間管理者ないし下級管理者でした。
つまりは、上級の権威に無批判に従う職能的習性をもちながら、自分の立場の弱さを意識し、かつ富裕者や上位者への反発心を抱え込んで、その鬱憤を破壊活動や民衆への抑圧・暴力に注ぎ込んでいきがちな集団なのです。
彼らは混乱した中央政界でも、大きな影響力をもつようになります。
ついに1922年、ファシスト党は黒シャツ姿の大集団となってローマに行進し、ムソリーニ首班の内閣が成立します。そして24年の選挙では全議席の約3分の2を獲得し、専制支配への道を突き進みます。
王権や貴族、有力地主層、富裕な企業経営者層、有力政治家、つまり従来の支配階級は、国際競争の激化を含めた経営環境の激変や階級敵対の熾烈化など、社会環境の大変動のなかで、いってみれば途方にくれていました。
それで意気阻喪し、政府や地方行政、軍、官庁などでの指導性を喪失ないし放棄していきます。こうして、ファシストのなすがままになっていたかのようです。
そして、エリートのなかにはファシストを利用して、複雑化し面倒になった経営管理や労務政策をやりやすくしようという手合いもいました。
けれども、やがてファシストは独裁的な政権運営を背景に、企業や農場、官庁などで、従来の支配階級・指導階級を押し退け、あるいはその地位を奪って権力を拡大しようとしていきます。
旧エリートたちがファシストの危険性に気づいたときには、手遅れでした。