ベルリングィエリ農場では、アッティラがファシスト仲間を手下に雇い入れ、地主の言うことを聞かない農民たちに残酷な攻撃を仕かけていきます。
家屋の焼き討ち、追い立て、脅し、農民組合事務所の襲撃などという形で。
オルモはアルフレードに、危険な存在、アッティラの解雇・追放を要求します。ところが、優柔不断なアルフレードは答えを避け、父親=農場主にも進言しませんでした。
そして、父親の強引な農場経営やアッティラの凶暴な仕打ちを嫌悪して、目の前の暴力に耐えられなくなり、家を飛び出して、都市の伯父の家に転がり込んでしまいます。
そこで、美貌の女性、アーダに出会い恋に落ちます。
それから数年間、アルフレードとアントーニオ、アーダの3人は、階級敵対の激化やファシズム支配など、世の中の動きを逃れるようにイタリア各地を旅行して回ります。
自らの家系が属する身分や階級には辟易しながら、その富の利用という快楽は捨てられない、というよりも、ほかに生き方を知らないというべきでしょうか。
ところが突然、滞在先の南イタリアのホテルにアルフレードの父の急死の報が届きます。
彼らはベルリングィエリの館に戻ります。そこで、アルフレードは葬儀ののち、農場の当主(地主)の地位を相続・継承します。
しかし、農場でのアッティラが率いるファシスト集団の暴力はもはや手がつけられなくないほどエスカレイトしていました。
アッティラ自身は、猟奇的な殺人を重ねる異常者(あるいは多重人格ないし統合失調症か?)になっていました。この地区では、もはや彼を押さえつけられる権威や権力を備えた者はいないからでしょうか。
ついに彼は、集落の農民集会場を襲い、組合事務所の留守番をしていた老人たちを焼き殺してしまいました。
ファシスト運動や組織は、実際にこのような側面をもっていたのかもしれません。病的な反社会的な性格異常者が暴動や暴力の尖兵となり、民衆への威嚇や抑圧、さらには殺戮を担当し、それを「自己の権威の発揮」「自己実現」と感じて快楽を感じるという。
実際の歴史とは、何と皮肉なのでしょうか。
左翼インテリ出身の、あのムソリーニは、意外と合理主義者なのです。
イタリア社会の地方ごとの対立と断裂あるいは階級的・文化的な分裂のなかで、互いに疑心暗鬼になって「影の権力:sotto governo 」の陰謀に脅える社会心理や「国民性」を打ち砕くために徹底的に闘いました。
たとえば、マフィアやカモッラをとことん痛めつけ、その脅威を絶滅させようとしました。もとより、ファシスト党の支配と権威を社会の隅々まで貫徹させるためでしたが。
論理としては、国家と民衆とのあいだに立ちふさがる(ファシスト党以外の)あらゆる分裂的な権力・組織を絶滅しようとしたようです。
その点だけは、徹底した合理主義者でした。
一方、ローマ教皇庁とはラテラーノ条約によって妥協し、ヴァティカン市の国家的独立を承認しました。
それには、教皇庁の自立性を政治的に保証するのと引き換えに、ファシズム体制が支配するイタリアの行財政に教皇庁が介入しようとすることを排除しようという目的がありました。
教皇庁にとっては、ムソリーニ政権から大きな譲歩を勝ち取った形になりました。そのため、ファシズムを批判する姿勢が著しく弱まり、教会がファシスト政権の専制と独裁、抑圧に苦しむ民衆を救済する立場と機会を失うことになりました。
「ファシストとの妥協」が今でも「ヴァティカンの恥辱」として刻印され続けています。
もっとも、教皇庁の政治的独立を守るためなら、どんなレジームとだって折り合いをつけるというのが、権力装置としてのヴァティカンの本能だといえば、それまでですが。