地主と農民(農業労働者)との闘いはさらに凄絶でした。
ある年の夏、この地方を激しい嵐が襲い、農場は強風と雹による大きな被害を被りました。
嵐の後、アルフレードの父は農場の労働者を集め、収益減が見込まれるため、今後賃金は半額にすると言い渡しました。
農村では、不況や凶作のたびに農業労働者の賃金は切り下げられていきました。
厳しい労働条件と貧困にあえぐ農民たちのあいだに、またたくまに「社会主義思想」が浸透しました。
とはいえ、この社会主義は、いわば素朴かつ粗雑な農民の願望や偏見が絡みついたもので、運動や闘争の方法も未熟なものでした。
それでも、農民たちは農場単位、集落単位で結集し、組合らしきものをつくり上げ、共同でストライキをおこなって地主の横暴に抵抗しました。
ある日、一帯の農民が集結し、都市やほかの地方の組合の支援を受けて地方全域でストライキを起こし、組合は農民の子どもたちを集めて汽車旅行に連れ出しました。
このシークェンスでは、汽車の出発に合わせて、組合のオルガナイザーの1人がアコーディオンで「インターナショナル」を演奏します。
この曲はやがて、革命直後の「ソ連の国歌」になるのです。
ところが、イタリアで演奏される「インターナショナル」は、哀調ををびた短調のソ連版と違って、長調の明るく軽快なメロディです。
しかし、大農場の労働者たちよりもさらに貧困な人びとがいました。
彼らは、節季ごとに移動する流れ者のような生活を送っていて、農場の労働者がストライキを続けている期間、地主に日雇いされ農作業に従事し、どうにかその日の糧にありついていました。
組合に加盟した農民からすれば、彼らは「裏切り者」で利害が対立します。
しかし、日雇いの移動労働者たちは、その日1日の稼ぎがないと、飢えてしまうのです。
こうして、労働者・農民のあいだでも利害の衝突と闘争があったのです。「労働者階級」とか「民衆」という言葉でひとくくりにできない複雑な現実がありました。
それを「ひとくくり」にして「労働者階級・・・」とか「階級闘争・・・」のスローガンをを云々する立場や歴史観は、何と怪しげで欺瞞的なことでしょうか。
映像を演出するベルトルッチ監督の目は確かです。