そのできごとから17年後。
おそらくは2008年、しかも大統領選挙戦を控えた時期。
2大政党の内部での大統領候補(副大統領とセット)の選出がおこなわれ、さらに大統領選挙の本選キャンペインが展開している時期。その意味では、この作品は「近未来もの」でもある。
ベン・マルコは、帰国後もずっと陸軍に勤務し続けている。階級も少佐に昇格した。だが、心的外傷の障害は少しも治らない。毎晩のように悪夢にうなされる。その日まで、その症状・障害は自分だけの特殊な後遺症だと思っていた。
ところが、その日、彼は地方の町のボウイスカウト団体に招かれて、湾岸戦争の体験を語ることになった。ベンは、聴衆に、あの夜の悲惨な体験を正直に語りかけた。そして、レイモンド軍曹の英雄的な活躍で危地を脱したことを説明した。
講演が終わろうとしたときに、1人の黒人が質問を投げかけた。
あのときのレイモンドがとった行動は、それまでいつも、ベネット大尉がしてきた行動そのもので、いつものレイモンドには似つかわしくない。あの記憶には実感が少しもともなっていない。何か変ではないか、と。
疑問を呈したのは、アルバート(アル)・メルヴィンだった。あのときの偵察小隊のメンバーで、今は退役している。というよりも、心的後遺症がひどくて、軍にはとどまれなかったのだ。
アル・メルヴィンは、講演会の会場となったホールの出口で、ベン・マルコを待ち受けていた。アルは、「あの夜のできごとについての鮮明な記憶」と、いわば身体に滲み込んだ実感的記憶(体感記憶)とが奇妙に分裂していることをふたたび訴えた。そして、この画像のように鮮明な記憶に対する疑惑を増幅するような悪夢を連夜、繰り返してみているのだという。
その悪夢とは、
あのときの小隊メンバーが医療機関のような場所に捕われの身になって、何か実験のように脳にたくさんのテューブを差し込まれ、あたかも脳の内部に手を突っ込まれるように、意識や記憶をかき回されたような、おぞましい体験の夢。
さらに、異様な服装のアラブの女たち。
錯綜し混乱したいくつもの光景のなかで、小隊の同僚エディー・イングラムとロバート・ベイカーが虐殺される。それは、あの砂漠の戦場でアラブ人のゲリラによってではなく、捕われた医療施設のなかでではなかったか、と疑われるような状況。
そして、この(仲間の死の)混乱と恐怖の根源がレイモンド軍曹にあるのではないかという実感ないし直感・・・
アルは、この異様な悪夢のイメイジを文章と絵によってノートに書き連ねていた。床に落ちたその絵の1枚を拾い上げて見たベンは、身体中に戦慄が走った。それは、彼自身が連夜悩まされている悪夢の光景の1つだったのだ。
だが、ベンはその驚きと恐怖を覆い隠して、アルに「軍のPTSD専門医の診療を受けるように」勧めた。
この作品は、政治スリラーだが、心理(サイコ)スリラーでもある。そのために、映像の流れでは、過去と現在の場面が、それも多分に心象風景とでもいうべき光景が、時系列的順序や因果関係の流れを切り裂くように錯綜して、フラッシュバック、カットバックの手法で描き込まれていく。
したがって、少なくとも私には、物語の展開の筋道がうまくつかめない。それで、ここでは、私なりに筋道を立てながら、物語を再構成して書くしかない。