俺たちは天使じゃない 目次
力作のリメイク版
原題について
見どころ
あらすじ
ネッドとジム
仕方なく脱獄
国境の町で
修道院で
母子との出会い
狭められた包囲網
「涙の聖母像」の奇蹟!?
話題の脱線
祝祭行列でのハプニング
ジムの演説
死刑囚との対決
ネッドの献身
それぞれの道を行く
この映画のあれこれ
  絶妙のコンビ
  修道院の造り
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デニーロ出演作品
ミッション
1900年
ブ ロ グ
知のさまよいびと
信州の旅と街あるき

あらすじ

  ひょんなことから凶悪殺人犯といっしょに脱獄してしまった、けちなコソ泥2人、ネッドとジム。めざすは、合衆国の刑法がおよばない国境の向こう側、カナダ。2人はどうにかカトリックの僧に化けて国境の町の修道院にもぐり込んだ。あとは、国境の川を越える橋を渡るだけ。
  だが、橋には、「凶悪脱走犯」を追捕するため、警察による厳重な検問が敷かれていた。そこで、2人は修道院での生活に溶け込みながら、あれこれと脱出作戦を練る。
  橋を渡ってカナダに行けるということで、ネッドとジムは貧しいシングルマザーと娘を利用して祝祭行列に参加することにした。ところが、ジムは修道僧のあいだの籤に当選して祝祭の記念演説をすることになった。ジムのとっさの思いつきの演説は聴衆に深い感銘を与えた。
  しかしそんなとき、一緒に脱獄した死刑囚のボビーが現れた。
  ネッドは脅されて、ボビーを山車に隠して国境を超えることになったが、行列の途中でボビーが銃をかざして暴れ出し、聾唖の幼女が川に転落してしまった。助けようとネッドは激流に飛び込んだ。幼女を抱えたネッドはマリア像とともに滝を落下していった・・・。

ネッドとジム

  アメリカ北部、カナダとの国境に近い、ある刑務所。
  ドジで気の小さい若者、ジム。片や、抜け目がないが、やはり小心者のネッド。
  ときは1935年の冬。北アメリカではまだ大不況の嵐が世の中を吹き荒れていた。おそらく、この2人は、その日の糧にも困ってコソ泥でもはたらき、ドジを踏んで捕まったのだろう。
  2人とも、まじめにおとなしく刑期を務め上げて娑婆に出るつもりだった。
  だが、この刑務所に収監された服役囚は、毎日、過酷な懲役労働に駆り立てられていた。仕事は、建築用石材の切り出しと精製、そして刑務所監房の増築だった。

  時代は世界経済の大不況のなかで、生き延びるがための犯罪が急増していた。そこで、刑務所はニューディール政策に連動した公共事業用――住宅や公共施設建設――の建築材の生産に携わっているようだ。だから、良質の石材産地に刑務所を設置して、石材の切り出しを懲役作業としたのではないか。
  ところが、刑務所の所長は残忍な専制君主=独裁者だった。ささいな違反や秩序紊乱を見つけては、過酷な懲罰を加えて、受刑者をいたぶっていた。細かな規則を徹底的に遵守させていた。
  その日の深夜、凶悪な殺人犯の死刑執行が予定されていた。処刑の方法は、発明されたばかりの最新の技術、電気椅子(ホットシート)。何しろ権威主義者の所長は、囚人たちに権威を見せつけるために、最新式の死刑技術にすぐに飛びついた。

  さて、ネッドとジムは同じ監房にいる相棒だ。2人とも、さほどの悪人には見えない。その日も、日課の作業を終えて監房に戻っていた。刑務所の消灯・就寝時刻がやって来た。だが、やたらに細かいことが気になるジムは、監房の相棒ネッドに小声であれこれと質問を繰り返していた。
  その話し声は刑務官=看守たちに筒抜けで、規則違反だ。早速所長に呼び出されて、懲罰を受けることになった。まずジムが背中への鞭打ちを食らった。ネッドの番になったところで、死刑執行の時間となった。
  2人は、電気椅子での死刑執行に立ち会うことになった。

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