さて、その日の夕方から刑務所長は地元の警察を指揮して、脱獄囚捜索のためにいよいよ執拗な捜索を展開した。何頭もの犬を使った探索が繰り広げられた。警察は犬を連れて待ちの家々を虱潰しに捜索した。
刑務所長は、捜索にあたる警官隊に「発見ししだいに射殺しろ」と命じた。
ネッドとジムは修道院に逃げ込んだ。
ところが、修道院の床についた2人の靴跡を見ると、明白に刑務所の配給品であることがわかる靴底の型がついていた。ということは、この靴を履いている限り、脱獄囚であることを明示する証拠を身につけていることになる。そこで、2人は靴を河に脱ぎ捨てた(修道院は河の畔にある)。
で、2人が裸足で歩いていると、ジムに深い尊敬と親愛の情を寄せる若い修道僧がやってきて、「なぜ、裸足でいるのですか」と訪ねた。ジムは、咄嗟に答えた。
「いや、・・・それは・・・ほら自然に帰れ、ということさ」
その言葉を聞いて、若い僧の目が輝いた。そして、急いで自分の靴と靴下を脱いでゴミ入れに放り込んだ。
ジムの言葉は、この学識深い修道僧の頭のなかに入ると、すばらしく深い啓示やインスピレイションを呼び起こすらしい。それにしても、カナダと国境を接する北の地での厳冬に、靴なしではすごくつらい。靴がほしい。
で2人は礼拝堂に入って聖母像を見上げながら、相談した。「靴をくださいと祈ってみようか。奇蹟が起きるかもしれない」
というわけで、2人は目を閉じて熱心に祈ってみた。
祈祷が終わったあとで、「軌跡は起きたかな」と2人は僧衣のガウンの裾を上げてみた。裸足の足が見えた。
「やはり、だめか」。ネッドのジムは互いに顔を見合わせた。
すると、そこにたくさんの靴を詰め込んだ籠を抱えた、備品係の僧がやって来た。彼は納戸室に籠を運び入れたのち、戻っていった。 「!」。
2人は納戸室に駆け込んで、自分たちの足のサイズに合う靴を選んで履いた。
『聖書』の言葉どおり、「求めよ、さらば与えられん(正確には「扉を叩け、さらば開かれん」)」。奇蹟が起きた。
とかくするうちに、すっかり夕闇が降りていた。ジムは靴音も軽やかに晩祷と晩餐のために食堂に行った。
さて、ジムの前では抜け目なく強気で立ち回っているが、元来、小心者――だから絶えず用心を重ね、巧妙に立ち回り抜け目がない――のネッドは、迫り来る包囲網に恐れ戦いた。無信心、罰当たりの彼は、何と礼拝堂に残って、神と聖母マリアに必死に慈悲を乞い願った。それこそ、跪いて目を涙で濡らした。
ネッドは潤んだ目で聖母マリア像を見上げた。すると、聖母像の目から頬に涙が流れ落ちていた。ネッドは驚いて聖母の顔を見つめた。
そのとき、すぐ傍らに来ていた修道院長がネッドに語りかけた。
「救いを求める者たちにとって、この聖母像の涙は大きな意味を持ちます。奇蹟としてね。
たとえそれが、屋根の隙間から漏れた雨水が滴り落ちて、マリアの顔を濡らしたものだとしても…」と。
ネッドはマリア像の上を見上げた。雨漏りの水が滴っていた。
院長は続けて言った。
「あなたがたが著述した奇蹟の独特の解釈には、非常に感銘を受けました。
聖職者といえども、ときには苦悩し、神に救いを求めざるをえないことがあります。今のあなたのようにね。
お祈りを続けなさい」
苦悩の底にあるときに、院長からかけられた言葉は――かなり次元に食い違いがあるのだが――ネッドにとって大きな救いだった。で、ネッドは告げた。
「どうしても行きたいところがあるのです(なかなか行けそうもないのですが)」
「心から祈り求めれば、必ず行けますよ。
ところで、あなたは明日の祝祭の行列に参加しますか」と院長は尋ねた。
「いいえ、別に用事があるものですから」
「そうですか、残念です。 祝祭では、カナダ側の姉妹関係にある修道院まで、聖母像を曳きながら僧たちが行進するのですよ」と院長は説明。
え、カナダまで行けるのか。というわけで、ネッドは行列への参加を告げた。
祭りに参加すれば、カナダに渡るチャンスがある。これまた奇蹟!