俺たちは天使じゃない 目次
力作のリメイク版
原題について
見どころ
あらすじ
ネッドとジム
仕方なく脱獄
国境の町で
修道院で
母子との出会い
狭められた包囲網
「涙の聖母像」の奇蹟!?
話題の脱線
祝祭行列でのハプニング
ジムの演説
死刑囚との対決
ネッドの献身
それぞれの道を行く
この映画のあれこれ
  絶妙のコンビ
  修道院の造り
おススメの記事
デニーロ出演作品
ミッション
1900年

死刑囚との対決

  ネッドは、町中の人びとがジムの演説に聞き入っているときに、こっそり監房の鍵を盗んで、ボビーを脱出させた。そして、白い僧衣を着せて行列の山車(祭壇をあしらった荷車)のなかに隠した。
  さて、いよいよ行列の行進が始まった。
  ネッドはモリーから預けられた幼女を車の縁に座らせて、山車を曳く修道僧の列に加わった。ジムは幼女を見守るように近くを歩くことにした。
  厳かな行列が橋を渡っていく。
  橋の反対側からは、カナダ側の姉妹修道院の僧たちが行進してきた。

  ところで、この橋は2本の川の合流点にあって、本流側のダムとつながっているようだ。ダムと橋が一体になっている。
  両岸から始まった2つの行列は橋=ダムの中程で出会った。祭りが最高潮に達しようとした。
  修道院長は祭壇に深く礼をしようとした。すると、涙の聖母の手から血が滴り落ちた。てっきり修道僧たちは奇蹟が起きたのだと勘違いした。「ついに涙から血の滴へと奇蹟の格が上がったか!」と。院長は涙が雨漏りだと知っているから、こんどこそは本当の奇蹟だと思った。


  ところが、血はマリア像のものではなかった。出しのなかに潜んでいた凶悪な脱獄囚、ボビーのものだった。
  ボビーは見つかったと知って銃を手に暴れだした。そして、あの女の子を見つけると人質に取ってしまった。女の子を抱き上げて、接近してくる警官隊に下がるように威嚇した。
  それを見たネッドは、身の危険も顧みず、一目散に出しの近くに駆け寄った。ボビーを山車に乗せたことに責任を感じたのかもしれない。
「その子はダメだ。返してくれ!」と叫びながら。ボビーは近づくネッドを狙って銃撃した。銃弾はネッドの顔に向かって飛び出したが、ネッドは分厚い祈祷書を顔の前に掲げていたので、銃弾に当たらずに済んだ――銃弾は祈祷書に食い込んだ。
  聖書がネッドの命を救ったのだ。偶然の連鎖にすぎない奇蹟とはこうして起きるものなのだという解説のようなシーン

  そのときジムが横合いからボビーに近づき、その腕から女の子をもぎ取った。
  身を庇うものを失ったボビーに警官隊が発砲した。おそらく即死だっただろう。
  しかし、ボビーは倒れ落ちるときに、山車の装飾にしがみついたため、飾りつけセットが崩れ落ちていった。それに巻き込まれて女の子も河に落下してしまった。

前のページへ | 次のページへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済
SF・近未来世界