俺たちは天使じゃない 目次
力作のリメイク版
原題について
見どころ
あらすじ
ネッドとジム
仕方なく脱獄
国境の町で
修道院で
母子との出会い
狭められた包囲網
「涙の聖母像」の奇蹟!?
話題の脱線
祝祭行列でのハプニング
ジムの演説
死刑囚との対決
ネッドの献身
それぞれの道を行く
この映画のあれこれ
  絶妙のコンビ
  修道院の造り
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デニーロ出演作品
ミッション
1900年

ジムの演説

  ネッドがボビーをめぐる揉め事に捉われているあいだに、ジムにも「ハプニング=事件」が起きた。祝祭記念の演説をする権利が与えられたのだ。
  あの若い修道僧が、ジムの名前を抽選籤のビンのなかに入れてくれておいたのだ。この祭りにやって来ている修道僧は、ほとんど全員、この名誉ある地位を得ようと籤に参加していた。
  町の中央広場の祭壇にいる修道院長が、抽選を告げると、抽選係のあの若い修道士が現れて、ビンのなかから名前を記した1枚の紙片を取り出した。書かれていた名前は「ブラウン神父」だった。
  マイクをつうじて院長は、「ブラウン神父、演壇に来てください」と呼びかけた。

  おりしもそのとき、ブラウン神父=ジムは、ボビーの問題に対処するためにネッドとともに保安官事務所に向かうところだった。とても、演説どころではなかった。けれども、周囲の人びとから「ブラウン神父、ほら、あなたですよ。演壇に行ってください」と呼びかけられて、仕方なくジムは演壇に登った。  こんな場合だから、ジムには何の用意(心の準備)もなかった。
  ところが、ネッドは少し当惑気味だったが、動揺はしていなかった。で、コンサイスの祈祷書を開いてみたが、開かれたペイジには雑貨店のパンフレットが折り込まれていた。猟銃を売り込むための広告だった。
「あなたがたった1人でいるときに、森で熊と出会ったら…」という書き出しで、そういう場合に備えて、猟銃を1丁お持ちなさい、頼りになりますよ、というメッセイジが書かれている。それをヒントにスピーチを仕立て上げていった。


  ジムには、こういう話題を抽象的な思弁をつうじて、もっと一般的な論題に置き換えていく才能があるようだ。彼の口から出たスピーチの言葉は、 「もしあなたが、たった1人で、頼る者とていないときに、危難に出会ったら…」ちゃんと、神学的な論題ともいえる話題に転換されているではないか!
  しかも、仕方なく脱獄して逃げ回り、いまや刑務所長や警官たちが敷いた包囲網に取り巻かれ、明日をも知れない身。そういう自分の状況でもある。こうすれば、今の自分の心情を表現したり、分析したりすれば、何とか起承転結のある話ができるかもしれない。
  これは才能である。

  その彼が続けた。 「地位や仕事を奪われ、この世の中で自らが安心していることができる場所とてないとしたら。どんなに財産があっても、富は何の力にもならない…
  そんなとき、もし一心に祈ることで心の救いが得られるのなら、祈るがいいでしょう。それは、その人自身の問題あるいは、自ら選択し解決すべき課題( it's your business )なのです。
  あなたがたが自分の救済のために祈るのです…」
  まさに窮極的な状況を設定して、信仰=祈祷の意味を問いかける神学問答になっているではないか。勘違いともいえるが・・・
  この演説は、聴衆の心を大きく揺さぶった。広場にいた多くの修道僧たちも深い感銘を受けたようだ。拍手が始まると、それは寄り集まり、大きなうねりのように広がっていった。感嘆のオベイションの声。

  ジムは民衆の熱狂的な支持に感動した。それはまた、無意識に、自分の素養への感動でもあったかもしれない。
  聾唖の娘の母親、モリーもジムの演説に感動した。またもや深く改心した。それで、ネッドとジムに娘を預けて行列に参加させて(奇蹟を祈って)くれと頼み込んできた。いやはや、ジムの演説はすごい。多くの人の心を揺さぶり、敬虔な信仰心を呼び起こしたらしい。

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