さて、2人の高名な神学者、ライリー神父とブラウン神父は著書で奇蹟(秘蹟)について革新的な考えを表明し、論述の材料としてこの町の修道院(の礼拝堂と聖母像)を取り上げているらしい。
おかげで、アメリカのカトリック(ローマ)教会ではこの修道院の名が一躍有名になり、その縁で、このたびこの修道院を訪問する運びになっていた。
その2人の神学者は予定の日にちを過ぎても現れないので、修道院の僧たちは気を揉んでいたのだ。だから、この2人と出会えた修道院長は喜色満面、手をとって修道院に案内した。
仕方ないので、ネッドは、神父の衣服に着替えてから橋を渡ってカナダに逃亡する計画にした。
院長はまず2人を礼拝堂に案内した。というのも、2人が著書の論説で取り上げた聖母マリア像があるからだ。この聖母像は「落涙のマリア」と呼ばれていた。このあたりでは、木製の彫像なのに、ときおり涙を流すという奇蹟で有名だった。
そのあと院長は、2人を被服室に案内して、好きな衣服を選ぶように勧めた。
2人が着替えていると、そこに若い神父が現れた。2人に親しげに微笑みかけたその目には、尊敬の念と出会いの感激がたたえられていた。というのは、この神父は、2人の著書の愛読者(熱心なシンパ)で、2人の訪問を待ちかねていたからだ。
彼は、ジムが来ていた服の襟に洗濯ばさみがついているのを訝しがり、その意味を尋ねた。抜けめのないネッドは、質問を巧みにかわして、ジムに振った。ジムは返答に詰まった末に、
「わかるだろう、…人はみな明日をも知れぬ身だ。それを忘れず銘記するためだよ」と答えた。その言葉は、あの雑貨屋に置いてあったパンフレットの表紙に書いてあったものだった。その言葉は、余儀なく脱獄に付き合わされて「明日をも知れぬ身になった自分の運命」を嘆く、彼の心情でもあったのかもしれない。
だが、思慮深い、この若い神父は、深遠な啓示を受けたかのように感銘したようだった。
やがて、晩餐になった。食堂にはすでに修道院の僧全員が集合して、食前の祈り(聖歌)を唱えていた。居合わせた僧たちは、突然の新参者に好奇心を向けたようだ。
院長は、遠路訪れた2人に今日の晩餐前の「感謝の辞」のスピーチをしてもらうことにした。突然の任務に2人は憮然とした。抜けめのないネッドは、これまた巧みに身をかわして、ジムをブラウン神父だということにして、謝辞スピーチの役割を振った。
当惑するジム。だが、こういう窮地になっても、動揺を見せずに振る舞うのがジムの特技のようだ。顔色も変えずに演壇に向かった。ところが、本来晩餐の謝辞をスピーチする順番になっていた神父が「本当は私の番だ」と抗議した。だが、賓客への礼儀を優先するという、その場の雰囲気は変わらなかった。
さて、演壇に立ったジムだが、スピーチについては何の案もなかった。演壇の書見台を見ると、祈祷書が置かれてあった。だが、ラテン語で書かれていたので、読むこともできなかった。それで、今朝、逃亡中に見たステッカーの文句を思い出した。
「旅人の立場になって、旅人をもてなそう」。ジムは「それでは、簡単なものにしましょう」ということで、それだけを語った。
これは、「ヘブライ人への手紙」のなかにある言葉らしい。
ところで、学究ばかりの僧たちは、著名な神学者ブラウンの深遠な言葉として受け取って、感動の面持ちだった。とはいえ、スピーチの順番を奪われた神父だけは、「異教的だ」と不満を漏らした。
この場面の構図は、じつに面白い。
ほとんど何も考えていないジムが言葉に窮して仕方なく語った言葉。だが、それは深く神学を学んでいる修道士たちにとっては、非常に含蓄のある意味の深い言葉になるのだ。
この作品では、わずかな言葉が、人によって、その人が属する組織や団体によって、まるきり別の文脈で解釈され、意味が転換されて動いていくというプロセスが、1つの主題にすらなっている。要するに、「勘違い」で世の中は流れていくことも多いものだ、という教訓があるのかもしれない。