これまでいくつかの法廷もの作品を取り上げた。
それらは、証拠や証人の確保や隠蔽なども含めて、一応法廷内での弁論によえる攻防・駆け引きで勝訴をねらう原告側・被告側の対決の構図を描くドラマだった。
ところが、この作品に登場する主人公の一人、陪審コンサルタントのランキン・フィッチは、「陪審員席のメンバーが決まったときには、すでに評決(判決)は決まったも同然」「判決は金で買い取るものだ!」と言い切る。彼は巨額の報酬で大企業から雇われて、陪審裁判の評決のゆくえを操作するのが仕事なのだ。
つまり、法廷内でどのような証言や弁論、審理がおこなわれようと、必ずクライアントが望む評決・判決に持ち込むためのノウハウと能力を備えた専門家(法廷傭兵)というわけだ。
ランキンが率いるティームには、法律はもとよりITや心理学などの専門家が結集し、さらに法廷外で盗聴、尾行、破壊、掠奪、脅迫さえ遂行する「専門家」も雇われている。
もちろん、法廷内での弁論や審理に対して、一人ひとりの陪審員がどのように反応し、どういう意見・心象を抱くかも予測・分析する。だが、それは陪審員の意見を買収し、あるいは誘導するための条件を見極めるためにすぎない。
今、アメリカの司法界では、少なくとも大企業や巨大組織が絡み、巨額の金が動く場合には、30年前には予想もつかなかった陪審員の心理の操作とか「裁判の買収」戦略が繰り広げられるようになっているのだという。
ということは、一般市民や企業のあいだで、裁判は市民社会の正義を求める制度だという建前はとうに崩れ去ってしまっていて、富と権力を投入して勝利を求めるゲイムにすぎないという割り切った思想が広がっているということかもしれない。
この作品は、その傾向を誇張しながらも、起りそうなできごとを描き出そうとしているのだ。