事件から2年後、殺害されたジェイコブ・ウッドの未亡人セレステが銃製造企業、ヴィックスバーグを相手取って、民事賠償請求の訴訟を起こした。
銃メイカーは、会社が製造した銃器がどこに流れ、どう使われようと一向に無頓着で、販売流通には何の自主規制や管理もなく、アメリカ中に流通し販売している。それによって犯罪――たとえば銃の乱射など――が起きて夫が殺されたことについて、過失責任がある。そこで、生きていれば夫が稼いだであろう収入分の逸失利益の損害賠償と特別賠償(日本の慰謝料にあたる)の支払いを求める。
というのが、セレステ側の言い分だった。
法廷代理人はウェンデル・ドーアー弁護士。市民派の法律家で、権利や利益を侵害された市民を救済するために、被害者からは費用を受け取らず、リベラル派の法律家がつくった団体から支払われる報酬で活動している。
そのため、マスメディアや大企業からは、「目立ちたがりで売名行為が好きな弁護士」、「自分の理想のために被害者を利用している政治屋」と煙たがられている。
■ガンメイカー側優越の仕組み■
一方、ヴィックスバーグ社は有力な弁護士に加えて、陪審評決を思い通りに操ると言われている陪審コンサルタント、ランキン・フィッチを雇い、そのために2000万ドル+必要経費を投じて受けて立つ構え。巨額のコストだが、この会社にとっては、毎年数十億ドルという市場=収益を守るためには、必要な「保険料」なのだ。
業界全体では数千億ドルに達する巨大市場を形成する「ビッグ・ビズネス」なのだ。業界はこぞってヴィックスバーグを支援することにした。
さて訴訟コンサルタントのなかでも、とりわけランキン・フィッチは、普通の陪審コンサルタントとは違って、闇で動くティームを使って強引に陪審員の評決を誘導する「荒業男」と呼ばれ、法律家たちから恐れられていた。
銃器業界は、最強・最有力の手駒をチェスボードの上に乗せたのだ。
普通の陪審コンサルタントは、陪審員の選任にあたって、誰を選べばクライアントに有利な判断・評決を引き出せそうかをアドヴァイスしたり、法廷審理の動きを見ながら陪審員メンバーの思考スタイルや価値観、心情を分析して、法廷での弁論のやり方とか、どういう証人を召還し、どういう証拠を提示すべきか助言する。
だいたいは心理分析の専門家や法律、医学、化学など訴訟に関係する企業・業界についての専門知識をもつメンバーからなるティームを編成して訴訟支援をおこなうという。
こういう専門家スタッフ=集団を雇い入れることができるのは、富と権力を持つ団体や大企業だけとなるだろう。「強いものがさらに強くなろうとする」動きを自由にさせるというのが、アメリカの訴訟社会なのだ。
ところが、ランキンは、陪審員メンバーの個人情報を探り出して弱みをつかんで脅迫したり、買収工作をしたりして、陪審員評決を思い通りに支配してしまうのだという。
それにしても、アメリカの大手銃器製造企業グループは、年間400万ドル以上の拠出金で基金を立ち上げ、何億ドルもの基金をプールし、一般市民からの民事賠償請求裁判やや銃規制導入を求める行政裁判などに備えているという。
そして、民事賠償請求裁判では、これまでに一度として敗訴したことがないという。経営陣の個人名で議会の保守派――多くは共和党だが民主党にも――の議員や団体に巨額の政治献金をおこない、また、合衆国ライフル協会という強力な圧力団体を背景に銃規制反対の世論づくりを推し進めている。この戦略は、いままのところ大成功をおさめている。
■原告側の陪審コンサルタント■
力技、荒業で恐れられているランキン・フィッチが銃メイカー側に雇われたことで、ウェンデル弁護士はかなり厳しい立場に立たされた。そんな彼の前に現れたのが、有能だがごくまっとうな陪審コンサルタントのローレンス・グリーン。
彼は熱心な銃規制推進派で、そのためには無償で活動することもある。今回も交通費を自弁してフィラデルフィアからやって来た。あまり資金のないクライアントの側に立って自分の理想のために動くときは、彼は1人で――当然のことながら専門家やスタッフを雇う資金がないので――あらゆる陪審コンサルティングをおこなう。今回もその口だ。
ウェンデルには、あらかじめ履歴書や実績リストを送ってあった。ウェンデルはローレンスの能力を買っていたが、何しろ資金は乏しい。そこで、ローレンスの通常の報酬の30%の額に値切って雇い入れた。理想のためなら赤字は覚悟するというローレンスの弱みを知っていたからだ。