「パリは燃えているか? ・・・。パリは燃えてるか?」
放り出された受話器から、ヒトラーの狂気を帯びた震え声が響いていました。
1944年8月25日。
パリを占領するドイツ軍最高司令部となっていたオテル・ムーリスのある一室。
電話でヒトラーが問いかけている相手は、ディートリヒ・フォン・コルティッツ中将。この部屋の主です。
将軍はそのとき、受話器を放置して、オテル・ムーリスに乗り込んできた自由フランス軍の士官たちに降伏を申し出ていました。
コルティッツにしたがうドイツ軍将官たちは、狂気としか思えないヒトラーの命令に服す必要がもうなくなったということで、心なしか安堵の面持ちでした。
おそらく、心のなかでは開放感と歓喜に近い感情がわき起こっていたに違いないでしょう。
それまでドイツ軍は強圧的にパリを支配し、それゆえ、市民たちは反感と憎悪を募らせていました。
とはいえ、さまざまな政派の寄せ集めでしかないレジスタンスとフランス国民解放委員会は、名目上は統一戦線を形成していたものの、内部では競争と反目が渦巻いていて、凝集的で統一的な動きになっていませんでした。
指揮系統がバラバラだったので、統制の取れない暴発的な反乱や蜂起(小競り合い)が起き始めていました。これに対してドイツ軍は、熾烈な報復戦を仕かけようとしていました。
その少し前、ソ連軍の接近を知ったこともあって、市民抵抗派が蜂起したワルシャワでは、ヒトラーの命令で蜂起は鎮圧され、見せしめのために破壊しつくされ、瓦礫と廃墟の山になっていました。
いまや、パリも同じ運命をたどろうとしていました。
ところがやがて、小規模な市街戦や散発的な戦闘だけで、この都市は解放されました。人類史的な価値をもつ多数の建築物や芸術、文物のほとんどが(一部はナチスによって掠奪されたものの)破壊を免れたのです。
ところが、それは幸運な偶然の連鎖によるものでした。
映画のシーンとその背景状況を追いかけながら、危機的状況と危うい事態の推移を素描することにします。