なんとか連合軍陣地にたどり着いたガロワは、パットン将軍に会いました。将軍は、さらに後方の上級将官・参謀部に会って説得するよう勧めました。
では連合軍参謀をどうやって説得するか。ガロワの頭脳は激しく活動していました。
静かに、誠実に、けれども迫力をもって、パリ市民のおかれた危機を訴えるしかない。こう腹をくくりました。
翌日、連合軍の将官・参謀部を前にしたガロワの訴えは、大きな説得力をもっていたようです。
連合軍がパリに進撃しなければ、大量虐殺、大量破壊が起きてしまう。そうなれば、フランス民衆は連合軍やアメリカを許さないだろう、と。
将軍たちは、ドイツ本土への侵攻速度がかなり落ちることになるけれども、パリ解放をおこなうしかないと、判断せざるをえなかったようです。
ヨーロッパの解放と復興にとって重要な問題は、物質的な戦況だけではなく、むしろ政治的・道徳的・精神的なイメイジだったのです。
連合軍が「この戦争の目的はナチスの抑圧レジームからの解放闘争」であって、の正当性は自分たちの側にある、という論理を持ち出す以上、パリの街と市民の「破滅からの救出」は必要不可欠です。
解放戦争の政治的・道義的な正当性は、おそらく戦争の荒廃からの復興、ヨーロッパ的規模での新たなレジームの構築に向けて民衆の力、ことに精神的・文化的なエネルギーを結集させるために不可欠です。
それは、自由と平和と人道、民主主義などという連合諸国側の価値観の正当性という点にかかわっていたのです。戦争が戦争後の統治や復興という戦略・政策に結びついている以上、単に軍事上の優劣だけを問題とする作戦には限界があるということです。
その日のうちに、連合軍のパリへの進撃が開始されました。
先陣を切るのは、ルクレールが指揮する自由フランス軍第2装甲師団でした。
この師団はフランス本土の出身者だけでなく、そのほかのヨーロッパ、北アメリカ、ラテンアメリカ、アフリカ、アジアなど、世界中からフランスの解放をめざして参加した義勇兵たちからなっていました。「偉大な混成集団」でした。
一方、コルティッツは、ヒトラーの命令と自身の良心との葛藤のなかで、ドイツ軍から見て形の上で「裏切り者」にならない状況をうまく引き寄せて、連合軍に降伏する道を探っていました。