第1章 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
この章の目次
20世紀になると、イングランドのヘゲモニーの危機と争奪戦が続く長い過渡期の後、1930~40年代までに合州国が世界経済での最優位を掌握していった。そして、ヨーロッパを主戦場とする2度の世界戦争の結果、1940年代後半、合州国の未曾有の優位が確定した。
主戦場となって荒廃した西ヨーロッパと日本の諸国家の財政や軍事力は衰退または没落し、都市と生産能力は破壊され、金保有や資金的能力も破綻に瀕した。戦争後の中核地域の再生産体系は、合州国からの信用・貨幣(ドル)供給と生産設備供給、さらには軍事的保証によって再建されることになった。
貿易体制と通貨の国際的交換、資本の供与をめぐる諸条件は、合州国の覇権のもとでGATTやIIMF、IBRDをつうじて政府間で調整されることになった。中核諸国家の軍事的独立性もアメリカの統制のもとで解体され、合州国の最優位による軍事的同盟に諸国家が統合された。
もはや、合州国を除いて、中核諸国家は自らの軍事戦略の発動や軍隊の動員を単独で行なうことはできなくなった。こうして、中核地域の諸国民国家が独立の政治的・軍事的単位として競争・対抗し合う関係、そのような諸国家体系の編成形態は過去のものとなった。
中核地域での資本の国際的運動を規制・制約していた政治的障害、たとえば保護関税障壁や為替管理法制、証券および金融取引きについての規制はやはりアメリカの最優位と統制のもとで、大幅に緩和・縮小されていった。諸国家の通貨および財政・金融主権は制限されていった。
また、西欧諸国家の植民地支配も解体されていき、この領域での資本運動の障壁も取り払われていった。それまで資本の国際的移動を妨げていた、西欧諸国家の排他的な植民地障壁の解体が進むにつれて、周縁地域での優位は資金力はもとより、資源の探査・開発能力、科学技術の水準、生産の組織化能力、情報管理能力によって決定されようになった。
そのため、世界市場競争におけるアメリカ企業の最優位がさらに浸透していった。
以上の文脈において、合州国の国民的通貨ドルが基軸通貨の役割を担うようになった。1960年代までは、合州国が世界的規模での資金循環の供給源となった。国民国家の金融・財政政策の手段であるドルという特殊な国民的通貨が直接に世界通貨の役割を担うようになることで、ドルの発行は世界経済の政治的・軍事的・経済的状況に応じて、合州国の特殊な利害や戦略に沿って行なわれるようになった。
このような状況を背景として、アメリカの巨大な製造業資本が先導役となって多国籍企業 multinational corporation 、国境を超えた企業 transnational corporation 、世界企業 world corporation と呼ばれる企業群が世界的規模での資本蓄積を主導する段階が訪れた。
資本の世界市場運動で工業資本が支配的な局面になった。
GMやフォード、エクソン、デュポンなどといった製造業を直接担う企業つまりアメリカ工業資本が、自らその生産過程と再生産体系を国境を超えて世界的に組織化し、管理するようになった。こうした新たな国際化の前提には、製造業資本の国内での急速な生産規模の拡大と企業内での巨額の資金の蓄積という事情があった。
巨大製造企業は、すでに合州国内で州境を超え、州ごとに会社法、税法などが異なる州際体制 interstate system を貫いて生産過程や流通過程、経営管理機構を組織していた。そして、第2次世界戦争中から急速に成長して企業内に膨大な資金を蓄えていた。
戦後、ドルが世界経済の基軸通貨となると、合州国の製造業企業にとって障壁なしに企業内に蓄えた資金を海外に直接投資する環境ができ上がった。進出先諸国での国有化や政府の介入など、投資のリスクは、政府が主導して諸外国政府と取り結んだ投資保証協定によって大幅に軽減された。投資保証協定は、相手国政府の政策や行動を強く規制する内容だった。
このような二国間の投資保証協定は、すでにブリテンが海外投資の環境を整備するために編み出したものだが、アメリカはさらに自国資本の直接投資を有利にする仕組みを組み込んでいった。
このようなトランスナショナリゼイションは、資本の国際的活動への国民国家の規制の緩和・縮小が進む状況のなかで、アメリカ以外の中核諸国の企業でも展開された。
西ヨーロッパや日本も、アメリカの先例に倣って、投資先の諸国と投資保証協定を取り結んでいった。こうして製造業企業の直接海外投資を促進・誘導する環境が整備され、工業資本の多国籍化が進んでいった。
これらの企業は、世界的な経営戦略を描きながら、企業内に集積した膨大な資金と情報力をもって、原料の調達から製造工程、販売経路におよぶ再生産体系をトランスナショナルに(国境を超えて)組織化・統制するようになった。各国に配置されたこれらの企業の子会社や工場は、法制度上は現地での法人格を得て独立の経営法人となっているが、世界本社による単一の経営戦略のもとで企業内での世界分業、企業内での世界貿易を組織化していた。
原材料の調達から販売におよぶ流通経路についても、同じ企業内に商業部門を抱え込むか、子会社に担当させるかして、製造業企業が自らの支配のもとで開拓・組織するようになった。そのための直接投資も主要な部分は、豊かな自己資金でまかなうようになったし、世界各地に配置された部門間・子会社間の取引の決済も自己資金の配分でまかなうようになった。
企業の生産過程の世界化あるいは世界貿易の企業内化が著しく進展した。個々の企業内で国境を超えた生産の社会化が進み、生産の「企業内世界分「業、「企業内世界貿易」という現象が当たり前のものになった。
このような多国籍製造企業による資金の国際的運動では、銀行による資金流通や取引きは補助的・付随的なものになった。
おりしもヨーロッパでは大陸諸国家が経済統合を進めて、個別国家の関税障壁を取り払っていった。そして、この巨大市場の出現に対応して、諸国家の政府が主導して資本集中を加速して「ナショナルチャンピオン」――国内最有力企業――となる巨大企業やコンツェルンを育成し、アメリカ資本の多国籍化に対抗しようとした。
こうして、多国籍企業・世界企業という産業資本が貨幣資本の世界循環と世界的規模での生産設備・製品の配分と運用を支配・管理するようになった。
だが、中核地域の有力企業が多国籍化し、利潤競争のなかで工業用基礎素材などの製造や調達を国外に移したために、合州国やヨーロッパ、日本では「産業の空洞化」が生じた。これは、失業率の増大や政府税収の減少による財政危機を招いた。
資金の国際的移動や循環を規制する個別国家の金融障壁も次つぎに緩和・縮小され、金融システムのグローバリゼイションも進み、個別国家の規制がおよばない領域が拡大していった。世界的な金融システムのなかには、銀行資金だけでなく、多国籍化する企業の巨大な資金も流通するようになった。
ことに1960年代後半以降、急速に進んだ為替相場(各国民的通貨のあいだの交換比率)の自由変動制にともなって、企業や団体が資産価値保全のために行なう為替投機競争によって、産業循環とは独立した資金の循環が金融システムを動揺させるようになっていった。
しかも、金融に対する国家の管理・規制権能は制限され縮小したから、世界的規模での金融循環の無政府性は高まってしまった。
このように、資本の世界的運動形態の変化にともなって、世界経済の構造とヘゲモニー、諸国家体系の編成様式は変動してきた。国民国家は成長し、強大化したのち、アメリカが主導したグローバリゼイションのなかで国家の規制能力は弱体化し、いまや国民的凝集が相対化しているように見える。
ヨーロッパでは、EC統合が進み国境を超えた統治システムが形成されてきた。個別国民国家の権力と機能は相対化している。
ところが他方で、国境を超えた統合が進み、とりわけ労働力のトランスナショナルな移動が自由化されるのにともなって、新たな形態の国際的摩擦が生じている。ことにEUではより有利な社会保障や雇用保険、雇用機会を求めて、東欧やアフリカ、中東、アジア、ラテンアメリカから移民が流入して国家財政、地方財政を圧迫するようになっている。
これに以前からの住民が危機感や不満を抱き、移民受け入れに異議申し立て運動を起こしている。それが古い過激なナショナリズムと結びついて、政治情勢を複雑にしているのだ。資本の世界化が生み出した結果はあちこちに危機やひずみを生み出してしまったようだ。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
序章
世界経済のなかの資本と国家という視点
第1章
ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第2章
商業資本=都市の成長と支配秩序
第1節
地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆
第2節
地中海世界貿易とイタリア都市国家群
第3節
西ヨーロッパの都市形成と領主制
第4節
バルト海貿易とハンザ都市同盟
第5節
商業経営の洗練と商人の都市支配
第6節
ドイツの政治的分裂と諸都市
第7節
世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
補章-3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
補章-4
ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望