第1章 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
この章の目次
諸国家体系の形成期が「宗教改革」「宗教戦争」の時期と重なるのは、偶然ではない。
汎ヨーロッパ的な普遍的原理を掲げてきたローマカトリック教会の組織とイデオロギーは、多数の国家が形成され、対抗し合っていく文脈のなかで、分裂し、それぞれの国民的ブロックに組み入れられていく。国民的まとまりが形成されなかったドイツでは、分裂と紛争がその後2世紀以上の長きにわたって継続した。
その動き、つまり国民的教会組織の形成への動きが「宗教改革 Reformation 」なのである。王権国家が統制する統治装置としての教会組織の構築だ。
それはまた、日常言語の国民的・政治的組織化をともなっていた。おりしも、印刷技術の発達によってパンフレットや聖書、版画などの出版物が出まわるようになっていたから、言説や言葉、象徴的な図像(図像もまた意思や意味を伝える言語となる)を用いての説得、宣伝、扇動、威嚇などによる思想闘争が重要になっていた。そして、言葉によるコミュニケーションの重要性の認識は、言語の国家的=政治的組織化への動きを刺激した。つまり、国家的統合、国民的結集の手段として国民的言語(各国語の文法)の形成をもたらすことになった。
最も典型的な転換はイングランド王朝で見られる。
中央集権国家を形成しようとするテューダー王朝にとって、イングランドを教皇とローマカトリック教会の統制から解放することは、領土内で王権が政治的・経済的・思想的に教会を統制し、国民的規模での結集の制度的枠組みに再編成することを意味した。
まず、王権はローマ教皇庁に支払われていた巨額の支払いを停止して、Anglican church(イングランド教会)に集積する仕組みに転換した。これによって、イタリア商人の権力=優越性は相当に切り縮められた。次に、イングランド領土内の教会および修道院財産を没収し、とくに教会・修道院領地は王の領地とし、王権に忠実な新たな貴族層(多くは大商人)に分封した。最後に、国王が教会の首長となり、その指導的役員を任命する権限を独占することになった。
こうして、教会組織は国家装置の一環として絶対王政による国民的統合を支える機能を担うようになった。教義の内容はカトリックに近いものだった。
中部ヨーロッパでは、宗教改革はドイツ語の成立のきっかけとなった。が、神聖ローマ帝国が多数の領邦国家に分裂していたことから、宗教的にはモザイク模様になった。ネーデルラントをめぐる諸王権の闘争も宗教戦争の色彩を帯びていた。
宗教的立場の選択理由は教義にではなく、ヨーロッパ諸国家体系のなかで国家的ないし領域的統合という政治的なところにあるのは明らかだった。宗教は王侯や都市団体などの支配者の権力によって決定されるものになったのである。
16世紀にカトリックを奉じるフランス王権とエスパーニャ王権は、北イタリアとローマ教皇への支配をめぐって相争うことになった。両王権が教皇を担ぎ出すのは、ヨーロッパでの勢力争いに自国の利益と優位を押し付けようとするときであった。
15世紀にアンジュ―家門との王位争いに勝利したヴァロワ王朝は、王の権威を回復するために、フランス王権の権威を受け入れるガリア教会のローマ教会に対する優位を主張した――これがガリカニスム(Gallicanisme)だ。そして、教会役員の選任にあたってはフランス王権の意向を押し通そうとした。
16世紀末に宗教紛争を鎮めて新たな国家的統合を試みたとき、フランス王権はローマカトリックを選択した。ただし、それは旧来のローマカトリック教会という汎ヨーロッパ的組織ではなく、フランス王権に付随する国家装置としての宗教組織――ガリア教会――を再編するという文脈においてであった。
15世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパ大陸では貿易戦争、それと連動した国家形成と宗教戦争とが絡み合った戦乱が断続的に繰り返した。それは、これまでに見たいくつかの文脈の複合した過程であった。
この争乱を一定の制度的枠組みにはめ込んで規制しようとする試みは、30年戦争を終結させた1648年ウェストファリア条約体制に見られた。それは、ヨーロッパ諸国家体系を「力の均衡
balance of power, Machtgleichgewicht 」の原理で調整するための国際法的システムの萌芽となった。
この条約が表現していた法理は、何よりも、それぞれの主権国家の成立とともに、ヨーロッパの宗教世界が汎ヨーロッパ的なローマ教会から国民的教会へと転換・分裂したということ、つまり国民的凝集を支える国家装置として機能する宗教組織への移行が決定的に完了した(「教会は主権者に属す」)、という状況であった。
そして、諸王権、諸国家は飛び抜けて大きな権力の成長を牽制し合う、つまりヨーロッパに頭抜けた権力が出現しそうになれば、他の諸国家が同盟して敵対に回るという軍事的・政治的行動スタイルの相互確認だった。これ以後、諸国家・諸王権のあいだの同盟と敵対の関係はめまぐるしく変わった。名目上も国家の生き残りのためには、いかなる選択も許されるようになった。
このような国民的統合への動きは、各地での国民的言語の形成によって補強され、加速された。
エスパーニャ語、フランス語、イングランド語、ドイツ語、デンマルク語、スウェーデン語などという国民的言語は、自然発生的に成立したものではない。ヨーロッパ諸国家体系のなかで他国民との対抗を意識した王権によって人為的・政治的に生み出されてきたものである。ラテン語やオイル語、ロマンス語、テュートン語などを基盤とし、各地の土着の語法・音声を素材にしてはいるが、自らの国民的独自性を表現する強烈なイデオロギーによって導かれて確立していったのである。
王権が選択しなかった「地方的」言語――たとえばフランスのオック語――は周縁化されたり、迫害・排斥されたりした。
ルネサンスから宗教改革にいたる過程のなかで、王権は教会組織を国家装置に取り込んで自国語の聖典を刊行し庶民の日常行事に国民的言語表現を与え、王立の学術・文化団体に自国語の文法を研究洗練させ、民衆の口承文芸すら新しい文法によって記述させようとした。
この文脈において近代の国民的言語は、強烈な国家イデオロギーないしは国民的イデオロギーを担う手段として生まれたのだ。
国内での通常の社会生活や立身出世のためには公用語としての自国語の使用や読解力を要求した――ただし、外交関係や法実務にたずさわる専門家には国際的共通語としてのラテン語やフランス語の素養を要求し続けたのだが。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3節
西ヨーロッパの都市形成と領主制
第4節
バルト海貿易とハンザ都市同盟
第5節
商業経営の洗練と商人の都市支配
第6節
ドイツの政治的分裂と諸都市
第7節
世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
補章-3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
補章-4
ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望