第1章 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
この章の目次
さて15世紀後半から16世紀にかけて、諸国家体系がようやく出現したばかりの頃の王権の政府権力はきわめて未熟だった。行財政装置もはなはだ未整備だった。フランスでは、都市の流通税・間接税の賦課と徴収は金融商人 financier (貴族化していることも多かった)が請け負っていた。
つまり、予定歳入額分に見合う上納金――その金額は入札で決められた――によって商人が課税権と徴税権を君侯から買い取り、納税者の状況を把握しながら課税額を具体的に決定し、徴収をおこなった。より高額を提示した商人が請け負うことになった。そして、うまくいけば上納金と実際の徴税額との差額は大きく、徴税請負商人は巨額の利潤を獲得できた。
王権や王の直属官僚たちは、こうした徴税請負商人が、実際に都市住民や農民から直接いくら税を取り立て、いくら王室に収めるか――言い換えれば、いくら上前をはねるか――について統制することができなかった。商品流通、売買、資産取引をめぐる課税・徴税の実務は富裕商人が支配していたのだ。
官僚制が未整備な段階では、王権の行財政装置と商人の経営装置とが未分化に融合し、独特の国家装置ないし支配装置をなしていたともいえる。17世紀のフランス王国では、富裕な貿易商人層・金融商人層は官職を買い取り、なかには貴族身分を獲得し、数世代のちには高等法院や宮廷の上級役人に登りつめた家系も多かった。
王権直属の行財政装置の運用もまた、各級の役人=官僚貴族の権限は彼らの身分に特有の特権、すなわち高度に自立的な裁量権にもとづいておこなわれていた。つまり、行政装置の運用に必要な資金は役人自身が調達しなければならず、その代わり、役人としての権限は彼らのパースナルな権利、人格に固有の権利だから、それを誰に貸し与えて収益を引き出そうが制肘できなかった。
宮廷ないし王室は、大半の行政装置の運用に必要な財政資金を分配することができなかったがゆえに、十分に統制することもできなかったのだ。予算=財政資金の分配によって国家装置を統制する能力を獲得するまでには、長い時間を要したのだ。
王権はかなり広範な社会空間を支配するようになったとはいえその統治機構は、ひとりの君侯にすぎない王の特殊な家産的支配装置(家政装置)でしかなく、いわば「私的な」権力であって、王室のさまざまな権限もまたいわば私的権利の集積であった。だから、王権が税や献金と引き換えに特許状を与えて商人団体や都市に特権・独占権を付与することは、いわば権利の私的な譲渡・取引きであるから、それがどんなに特殊利益の選別的優遇であっても、なんら政治的・倫理的に痛痒を感じるべきことではなかった。
統治の公的性格 Öffentlichkeit という法観念も成立していなかったし、 privat と öffentlich
の区分もほとんど意識されていなかったのだ。したがって、実質的には域内全体の統治にかかわる国家装置と王室家政装置との区別はなかった。実際には、王室の家政装置が王領地を超えて王国全体の統治をおこなう状態から徐々に家政装置とは相対的に区分された統治装置が断片的に形成されていったのだ。
やがて「君主権は神から委ねられた職務であり、もはや私的権利ではない」という法観念が形成され始める。
だが、君侯権力が弱小なドイツの領邦では、この論理が「全体の利益のため」という擬制において君侯権力を制約するために貴族や特権身分層によって利用された。やがて神授君主権のイデオロギーは、むしろ絶対王政の正当化のために援用されていった。
それにしても、戦役にさいして王権が傭兵からなる陸上軍や艦隊を動かすためには、巨額の費用がかかった。それをまかなうのは、基本的に王領地からの収入や特権と引き換えに都市や商人団体が差し出す税や賦課金だった。そういう収入を担保にして王は王権の当主として「個人的に」金融商人から借入をおこなった。
たいていの場合、とりあえず借り入れた資金で戦争に突入し当座の戦費をまかない、まかないきれない戦費については、そのあとで毎年の王室収入を返済資金に充てた。というわけで、王室はほとんどつねに借財・債務に追われていたのが実情だった。
王室収入を増やすために、王権はさまざまな理由と名目を設けては新たな課税を試みた。こうして、16~17世紀には、諸王権の財政収入は飛躍的に伸びた。
しかし、諸国家体系、つまり諸国家・諸王権が対抗し合う状況のなかでは、いつもどこかで戦争が行なわれ、戦費・軍事費は増大し、王室財政の歳入の何倍にも達した。そうなれば、歳入を担保に金融商人から借り入れるしかなかった。ヨーロッパのどの王権でも、借款は時を追って雪だるま式に膨張していった。
やっと王室に入ってきた税収の多くが利払いに回された。それでも、どの王権も国家としての存続のためには軍事的競争をやめるわけにはいかなかった。いくつもの王権が何度も支払不能宣言=破産をした。だが、国家は生き残り膨張していった。
こうした状況のなかで、統合されたばかりの領土内の経済的剰余を中央政府が吸い集めることには、それなりの摩擦がともなった。負担する側から同意を獲得したり抵抗を抑え込み排除したりすることが、すなわち懐柔や封じ込めが必要であった。だから、王権の拡張と王室財政の強化には、それ自体、秩序の維持という点では大きなリスクをもっていた。
もちろん、王政の軍事・警察機構の強化とともに課税と徴収を担う官僚機構の創出も大事な課題ではあったろう。だが、領土内の秩序を不安定にしないで資金調達を正当化する制度をつくりだす必要があった。そうしないと、長期的に安定した収入の確保は難しくなるからだ。
正当化というのは、金を払う側の同意――それが威嚇によるものでも――を得る仕組み=システムを組織するということだ。
国家間の対抗がしだいに強まるヨーロッパで、域外勢力の介入を招くような分裂のリスクは避けねばならなかった。領土内の統合を強めることは不可欠の条件だった。課税や援助金による財政資金の調達をめぐって有力諸身分の代表の同意を取り付ける仕組みが必要だった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3節
西ヨーロッパの都市形成と領主制
第4節
バルト海貿易とハンザ都市同盟
第5節
商業経営の洗練と商人の都市支配
第6節
ドイツの政治的分裂と諸都市
第7節
世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
補章-3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
補章-4
ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望