第1章 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
この章の目次
こうして、ヨーロッパ世界経済を舞台とする諸国家――いくつかの国民的ブロック――のあいだの通商戦争が開始された。各国民(それぞれの国民的ブロック)は世界経済のなかでより優越した地位の獲得をめぐって競争・闘争する。このような文脈で「重商主義
Merkantilismus 」を位置づけなければなるまい。
同時にまた、この文脈において「絶対主義」「絶対王政」の歴史的位置づけも問い直さなければならない。まずは重商主義の意味を検討してみよう。
アメリカでの金銀産地の発見、原住民の駆逐、奴隷化と鉱山への生き埋め、東インドの征服と掠奪の開始、アフリカの商業的黒人狩猟場への転化、これらのことがらは資本主義的生産の時代の曙光をいろどっている。このような牧歌的過程が本源的蓄積の主要契機なのである。これに続いて、全地球を舞台とするヨーロッパ諸国民の貿易戦争が始まる。それはエスパーニャからのネーデルランドの離脱によって開始され、イングランドの反ジャコバン戦争で巨大な範囲に広がり、中国に対する阿片戦争で今なお続いている。
いまや本源的蓄積のいろいろな契機は、多かれ少なかれ時間的順序をなしてことにエスパーニャ、ポルトガル、ネーデルランド、フランス、イングランドのあいだに振り分けられている。イングランドではこれらの契機は、17世紀末に植民地制度、国債制度、近代的祖税制度、保護貿易制度として体系的にまとめあげられる。
植民地制度は貿易や海運を温室的に育成した。〈独占会社〉(ルター)は資本集積の強力なてことなった。植民地は、成長するマニュファクチャーのために販売市場を保証し、市場独占によって増強された蓄積を保証した。ヨーロッパの外部で、直接的な掠奪、奴隷化、強奪と殺戮によって収奪された財貨は、本国に流入してそこで資本に転化した〔K. Marx, Das Kapital〕。
これはカール・マルクスの見取り図だ。当時としては卓越した洞察だった。ただし、私たちはそれを商業資本が支配する資本蓄積体系と諸国家体系の成立という文脈で読み解く。
サミール・アミンは、成立したばかりの(ないしは形成されつつある)国民国家が世界経済のなかで自己中心的な資本蓄積=工業化への体制を準備し基礎づけるための政策体系が重商主義である、と解釈している。こうした政策を打ち出すことができたのは、いち早く国家を形成し、周辺部を自らの資本蓄積に従属する構造として支配することができた中核地域の諸国民だけであるという。
これらの諸国家は、自国商業資本の国際的蓄積競争での優位をめざして、海賊行為を生業とする冒険商人さえ含めた貿易業者への特許付与、厳格な関税障壁の構築、特定産業への資源の選別的集中や軍事的支援を行っていった。これは、戦略的に重要とみなした幼弱産業の保護育成を意味するが、反面、中央政府との結びつきが弱い非戦略的産業への規制と圧迫につながった。
この意味で、重商主義は、成立したばかりの世界経済のなかで国民的規模での経済的・政治的凝集性を強化し、世界市場での競争のための諸制度を創出する動きであった。それは、絶対王権によって開始されブルジョワ国家に引き継がれ、洗練された。
アミンにとっては、それゆえ、重商主義は世界経済の初期段階を表す特徴であり、時期区分の標識なのである〔cf. Amin〕。
とりあえず、私たちは基本的にこの考え方に立つ。
ところで、王権や初期ブルジョワ国家による通商・産業の保護育成について、政府財政の支出政策 spending policy であるという幻想を抱いてはならない。むしろ、それは財政収入をともなっていた――政府財政は未熟だったからだ。
政権は、貿易や産業を組織化しようとする商人団体に賦課金の上納と引き換えに特権を与え、彼らに「排他的特権を盾に取った仮借ない利潤追求」を認めるという政策だった。そうでもしなければ、財政は機能しなかったのだ。つまり、国家の産業規制・育成政策は、有力な商業資本を国家装置の周囲に組織し、その収益=資金を国家財政に供与させるための政策だった。
スペンディングポリシーの成立は、国家装置が全面的に経済に介入し、国家による国民社会のあらゆる階級の所得を把握し、効率的な課税と徴税を可能とする行財政装置が確立されることが前提なのだ。
ウォラーステインは、重商主義について別の独特の解釈を試みている。
17世紀のヨーロッパ世界経済で最初にヘゲモニーを掌握したのはネーデルラント連邦(ユトレヒト同盟)だった。世界分業で頂点を極め、世界貿易での最優位を手にしたネーデルラント商業資本ブロックにとっては、ヨーロッパ諸国家が張りめぐらした――国内の幼弱産業を保護する――障壁がないこと、つまり「優勝劣敗」の論理が貫徹する自由貿易が一番有利な条件だった。
覇権国家にとっては自由貿易こそが世界市場での自らの支配と最優位の保証なのである。それは18、19世紀のイングランドにも当てはまる。要するに「弱肉強食」の論理の自由な適用である。
ところが、覇権国家と対抗しながら、自国の産業を保護育成して世界分業での劣位を克服しようとする諸国家、あるいはさらに進んでヘゲモニーの分有ないし奪取をねらう諸国家にとっては、国際的通商戦争での国家の支援や保護体制は不可欠の戦略手段となる。
外国貿易の国家独占ないし国家統制や産業保護・育成政策、関税障壁などは、覇権国家に挑戦し、あるいは覇権国家の脅威または競争相手からの防衛を企図する国家の必然的な政策・イデオロギーとなる。これが重商主義である、とウォラーステインはいう。
それは、20世紀のソヴィエト国家にも当てはまるという。彼によれば、崩壊前のソヴィエト国家は、資本主義的世界市場のなかで社会主義運動が政権を運営する重商主義国家ということになるという〔cf. Wallerstein01, 03〕。
ウォラーステインの方法に従えば、19世紀後半に国民国家体制を築き上げながら世界貿易戦争に参入し、中核国家への仲間入りをねらったドイツ、アメリカ合州国、日本の1930~40年代までの動きを説明できる。
ところで、重商主義が成り立つためには、国家が独立の政治的・軍事的単位として振る舞うことができるような国際的環境が前提となっている。
しかし、第2次世界戦争後の世界経済では、アメリカのヘゲモニーのもとで中核諸国家――主戦場となって疲弊荒廃し国家財政は破綻した――の軍事的・政治的単位としての独立性が失われ、単一の軍事的・政治的ブロックに編合された。それ以降、諸国家体系の編成様式と世界市場競争・世界貿易の構造は決定的に転換してしまった。したがって、重商主義が妥当した環境が変化したわけだ。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成