第1章 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
この章の目次
ヨーロッパの中世的秩序はそれ自身に内在するダイナミズムによって解体して、世界市場の生成に結びついた。生成しつつある世界市場のなかでは、各地の商業資本グループのあいだの蓄積競争が展開していく。こうした文脈のなかで、それまでは局地的な領主制秩序に分裂していた政治的・法的編成が組み換えられ、各地の有力な君侯による国家形成への動きが始まった。
それは、相争う領主群のなかから有力君侯が出現し、より広域的な地理的範囲を中央政府から一元的に支配・統治する組織としての領域国家をつくりだす動きとして始まり、近隣の領主たちや諸都市を自らの支配圏域に統合して中央集権的政治体を生み出していくことになった。世界市場で競争する商業資本が国家形成をめざす君侯権力と癒合して形成した独特の国家装置は、世界経済での資本蓄積戦争のための鎧となった。
国家形成をめざす君侯や王権のあいだの戦争や闘争を通じて、近代に特有の制度として国境の体系と「国民」という特殊な政治的組織が形成されていった。こうして、資本主義的世界経済に固有の政治的・法的秩序は諸国家体系、つまり相互に対抗する多数の諸国家からなるシステムとなった。初期のヨーロッパ諸国家体系のなかに出現した有力諸王権のうちのあるものは、絶対王政と呼ばれる独特のレジームを形づくった。
あとで見るように、「絶対王政」「絶対主義」という語は、もともとは王権に対抗する諸勢力の政治的プロパガンダと結びついて生まれたもので、歴史学や政治学のカテゴリーとしては疑わしい側面もある。だが、比較的長期にわたって継続した世襲王政であって、将来の国民国家の枠組みを創出するレジームとして位置づけるという意味合いにおいて、ここでは使用する。
近代国家は国境体系を構築することで「領土」という近代に特有の政治的な社会空間をつくり出した。こうして、国家装置による囲い込み機能ないし統合作用をつうじて、領土の内部の社会と諸階級は《国民 nation 》として政治的・法的に総括・組織され、国境の外部との分断・差異が生み出されていく。
それは言い換えれば、国境の内部では、領主層や教会組織を王権に従属させ、国王直属の官僚制・身分代表の評議会・軍隊をつくりだして軍事力・司法権・立法権・外交権などを独占し、それを正統的で合法的な状態として領土内の全住民に押し付けていくということだ。王権は、他国との対抗関係を強烈に意識しながら、このような国民的凝集の枠組みを組織し、強化していく。
このような機能を担う統治の中核=王権は、領土内に並ぶものなき「絶対の主権者」として現れる。つまり、絶対王政、絶対主義国家である。ひとまとまりの領土の内部で中央政権から一元的に支配するという原理は、分散的な中世的秩序とは決定的に異なる。
とはいえ、はじめのうちは私掠船を含む艦隊や傭兵からなる陸軍は、有力な商人が組織運営する私的な武装集団の集合体であって、特権や報酬と引き換えに王権の指揮・統制に服していた。それが、王室財政の充実や官僚機構・軍制の拡充とともにしだいに王権直属の――または王権によって恒常的に統制される――組織に転換していったのである。王国域内の領主層や教会指導者の反抗や分裂傾向を封じこめていくのも、王権の統治機構に彼らを吸収し従属させていくことによってであった。
それにしても、絶対王政がひとたび確立したイングランドやフランスでは、もはやこの国民的統合の枠組みをくつがえす勢力や運動は起こりえなくなってしまった。後の市民革命も、統治階級の内部編成と権力の構成原理を組み換えはしたものの、この国民的枠組み( Nationalrahmen )の内部で、またそれを強化する方向で展開した。国民的枠組みを前提とした中央政府からの支配、これこそが絶対王政の成果なのである。
だが、統治ないし政治構造の国民的枠組みを創出したとはいえ、すでに見たように、はなはだ未熟な行財政装置しか備えていない国家だった。絶対王権はほとんどの場合、きわめて貧弱な直属の課税・徴税装置を組織=保有するだけで、課税・徴税の実務では個々の商人やその団体にほとんど全面的に依存していた。
都市や農村などの地方行政は商人層や土地貴族層からなる社団(身分団体)が直接担っていたし、また王の軍も傭兵隊や個々の都市が組織した艦隊からなっていた――こうしたものの寄せ集めだった。
絶対王政は、世界貿易や世界金融を営む大商人(商業資本)に特権を与え、貴族に叙任し、宮廷の周囲に結集させ、旧来の領主層を中央政府・軍の官僚または地方統治の担い手として編合し、教会の指導者を王権に服属させようとする。また身分制議会や宮廷、国王の顧問官僚団( Privy council, Conseil d’Etat )の周囲に諸身分の有力者を組織しようとする。
とりわけ、世界貿易を営む大商人に独占的特許(ないし官職)の付与と引き換えに巨額の賦課金・税を納入させ、政府財政の基盤を強化するとともに、外国貿易の王室独占(国家独占)のメカニズム――つまり、貿易を王権の独占としてその実務を有力商人団体に委託する制度――を確立していく。とはいえ、まだ幼弱な中央政府は未熟な官僚装置(行財政機関)しか備えていなかったから、世界市場での商業資本の活動の一定部分しか把握・統制できなかった。
商業資本のなかには、王権の戦略や利害から独立して自らの利害と戦略にもとづいて世界貿易や国際金融を組織し、ときには敵対王権への金融や貿易を企て、したたかに巨利を獲得するものもあった。
そして、海外市場の開拓や植民地支配をめぐっては、王権は有力な商人集団に独占的特権を与えて特許会社――その典型は東インド会社や西インド会社――の設立を認め、海外拠点での独自の法廷や行政府ならびに艦隊や陸軍の創設と指揮運用を許可し、戦争と講和などについて外国主権者との交渉権を与えていた――というよりも、統制できなかったというべきか。
というわけで、こうした特許会社は、はじめのうち独立の機関(主権団体)として海外活動を営んでいたが、しだいに国民国家の中央政府の統制に服するようになっていき、ついに19世紀はじめ頃までには中央政府の戦略にもとづいて海外活動と植民地政策を担う国家装置の一部となった。
すでに見たように、絶対王政は国民的枠組みをつくりだしたが、まだまだきわめて未成熟な国家構造をなしていた。一方では、地方領主が独立の家産装置・従士を動かしながら王政の地方的エイジェントとなり、王室直属の官僚装置を補完していたし、他方では、商人・金融家が王室の行財政装置を補完し、代行していたのである。
とはいえ、彼らはエリートとして国民的ブロックへの帰属意識や利害意識を共有するようになっていて、子弟や親族を王権の官僚組織・軍事組織に送り込んで一体性を強めていった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成