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映画『マイケル・コリンズ』は、ブリテン政府とアイアランド独立派との武力闘争をともなう政治闘争を描いた物語だ。
ここでは、武力闘争すなわち戦闘は独立という政治的目的のために限定された条件のもとで慎重に用いられるべき手段であって、政治闘争のひとつの形態として独立派がやむなく選択したものだ。そして、暗殺は武力闘争のひとつの手段=形態として目的意識的に選択された戦術だった。
暗殺というものが政治的な権力闘争の手段であるという文脈が明白に描かれた史劇映画だ。
■暗殺作戦の首謀者は暗殺で斃される■
『マイケル・コリンズ』は、20世紀初頭から1920年代までの期間、アイアランドの独立をめぐって、長期的な敵対と闘争のなかで熾烈な暗殺合戦が繰り返される悲劇を描き出している。
ブリテン国家のアイアランド支配のための軍や警察などの権力装置の圧倒的な優位のなかで独立派=IRAは展望なき反乱と蜂起、敗北、そして指導者の処刑という過程=結末を繰り返してきた。
圧倒的な劣勢のなかで独立派のそれまでの闘争は、勝ち目のない戦闘にあえて挑み、惨めな敗北を喫することを覚悟しながら、一般民衆への政治的アピールをおこなうことを目的にしていた。つまりは、「無謀な英雄主義」の冒険だった。
それゆえ、闘争要員の組織化の程度はかなり低かったといえる。
ところが、主人公、マイケル・コリンズは、闘争の目的を「勝利の獲得」――ブリテン政府をアイアランド独立のための交渉に向かわせること――に置き、局面の転換を狙って王立警察幹部の暗殺作戦を組織化する。
映画の物語の展開では、マイケルがダブリン警察の資料室で、ブリテン=王立警察がいかに系統的・組織的に独立派メンバーに関する情報を収集し、周到な包囲網を構築しようとしているかを知ったことが、暗殺作戦の導入のきっかけとなっている。
権力組織=集団としての敵にはとうてい対抗するすべはないことを思い知った。そうなると、敵側の弱点をつきためには、彼らが個人として動く生活場面を狙って攻撃を仕かけるしかないという判断に達した。
戦力・組織力において圧倒的に劣勢なIRAとしては、収集した情報にもとづいて、独立派に対する抑圧を担当する敵側メンバーの各個撃破、つまり暗殺というやり方で、敵の戦力を切り崩していくほかには、手立てがないということになったからだろう。
マイケルは、はじめは王立警察幹部たちのダブリンでの生活様式や行動スタイル、行動範囲を調べ尽くすことにした。そして、彼らが無防備な個人として動く機会を狙って謀殺作戦をおこなうことにした。彼らを駆逐したあとは、ブリテン側の秘密情報局要員に関する情報を収集し、暗殺作戦のターゲットに据えていった。