レナードの朝 目次
33年後の目覚め
原題と原作
見どころ
あらすじ
珍奇な臨床医の誕生
患者たちの奇妙な反応
レナードとの出会い
《Lドーパ》投薬治療
  Lドーパ投与の学会報告
  レナードの投薬治験
快挙に沸く病院
スポンサーの説得
レナードの自立心と反抗
  身体の自立と精神の自立
  反抗と病院の秩序
治療効果の消滅
  パイロットケイス
  Lドーパ投与治療の限界
私の経験に即して
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評  決

あらすじ

  1920年代、ヨーロッパとアメリカでは嗜眠性脳炎 encephalitis lethargica が蔓延したという。患者のなかには、この病気から回復したのちに、身体の運動の麻痺や昏睡症状に陥る者がいた。ニューヨークに住む少年、レナード・ロウもその1人だった。
  1936年、ついに彼は身体がこわばって恒常的な麻痺状態に陥ってしまった。それから33年後、生物病理学の研究者、セイヤー博士はニューヨークの病院に臨床医として採用され、全身麻痺に陥っているレナードと出会った。セイヤーはドーパミンを含む L-DOPA を投与する治療法を開発しレナードの施した結果、レナードは目覚めた。
  知能が高いレナードが20歳になったときに全身麻痺に陥ったのだが、その段階までしか社会経験していないレナードが、いきなり肉体的には中年期の男性として覚醒したのだ。知能はものすごく発達しているが、青年期の社会経験がない状態なのだ。

  ところが、身体機能の回復とともに、レナードは病院の看護から自立した「普通の生活」を求めるようになった。病院側に無視されると、強硬な反抗とデモンストレイションを開始した。
  病院側は患者たちへの監視や管理をより強化していった。
  ところが、自立を求めるレナードの身体に異変が起き始めた。顔や肢体の筋肉の痙攣や硬直、麻痺が起きるようになった。ドーパミンの効果が急速に衰弱してきたのだ。反抗を諦めたレナードは、ある決心をした。

珍奇な臨床医の誕生

  1969年のある日、マルカム・セイヤー博士はニューヨーク市ブロンクスのベインブリッジ病院を訪れた。病院が神経科の医師を募集していたので、それに応募して、今日は面接だった。
  彼はひどい対人恐怖症だった。そのために社交性が著しく欠けていた。だから、医学者だったが、対人治療すなわち臨床医の実務には携わったことがなかった。これまでは、昆虫や環形動物(ミミズなど)の神経達物質や神経反応に関する酵素系について研究ししてきた。その分野では飛び抜けた業績を積み上げていた。

  セイヤーは、病院長と医科長の面接を受けた。彼らは、脳神経科の臨床医を募集していた。セイヤーは人とのコミュニケイションから逃げ回ってきたので、臨床医としての資格や経験がないことを悟った。
  そこで、自分ではなく、もっと臨床医に適した者が適任だとして、応募を諦めて帰ろうとした。ところが、病院側は、すぐれた研究能力を備えた臨床医を探していたので、大学の医科を修了するさいに臨床医実習(必修単位だったから)をしていたことで、セイヤーが資格・経験の条件を満たしているものとして、すぐさま採用することにした。
  というわけで、ここにきわめてユニークな神経科の臨床医が誕生することになった。セイヤーは、森のなかで変わった生物を採取したり、飼育したり、顕微鏡で眺めることが好きだった。ほかの人間と言葉を交わす必要がなかったからだ。

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