レナードの朝 目次
33年後の目覚め
原題と原作
見どころ
あらすじ
珍奇な臨床医の誕生
患者たちの奇妙な反応
レナードとの出会い
《Lドーパ》投薬治療
  Lドーパ投与の学会報告
  レナードの投薬治験
快挙に沸く病院
スポンサーの説得
レナードの自立心と反抗
  身体の自立と精神の自立
  反抗と病院の秩序
治療効果の消滅
  パイロットケイス
  Lドーパ投与治療の限界
私の経験に即して
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レナードとの出会い

  セイヤー博士は、看護婦のエレノア・コステロの協力を得て、痴呆症とか硬化症、麻痺とか診断されている患者たちの診療記録(カルテ)を調査してみた。
  すると、ほとんどの患者が幼年期から若年期にかけて嗜眠性脳炎を罹患していたことがわかった。

  そんな患者のなかに、高齢の母親に付き添われた40代前半の男性がいた。名前はレナード・ロウ。彼は33年ほど前、11歳前後に嗜眠性脳炎にかかり、その後、右手の麻痺が始まった。右手・腕が痺れたようになって、思い通りに動かせなくなった。とうとう、学校の教室でもノートの筆記ができなくなってしまい、長期の欠席と自宅療養を余儀なくされたのだ。
  その後、随意筋の麻痺はほぼ全身に広がっていった。
  自宅療養中、レナードは貪るように本を読んでいたという。もともと知能が高かった少年は、学校には行けなくなったが、ものすごい教養や知識を蓄えることになった。だが、成長するにつれて、麻痺は身体の各部に広がっていった。
  そして、とうとう20歳になったある日、ついにベッドからどこにも動けなくなってしまい、入院治療を受けることになった。


  それからおよそ20年後、レナードはベインブリッジ病院の神経科に入院していて、ときおり自宅治療に戻っていた。麻痺が始まってから33年以上が経過していた。それでも、母親の努力で「読書」による知的営為はしているようだ。そのことだけにエネルギーが集中されるから、教養知性はすばらしい水準にある。
  セイヤー医師はレナードを、飛んでくるボールに反応する患者のグループに入れてみた。だが、レナードは何の反応も見せなかった。
  麻痺状態の患者が何に対して反応して身体を動かすようになるかは、それぞれに違っていた。音楽(つまり聴覚情報)に反応する者。体に触れて支えてもらうと、歩行できる者。さまざまだった。


ウィージャ・ボード

  ある日、セイヤーはウィージャボードを使うことを思いついた。ウィージャボードとは、楕円形のパレット上の木製盤の表面に文字(アルファベットや数字)や絵文字、記号などが刻印されている。その盤上でハート形のポインターを手で動かして文字列を表示して意思を伝えるためのボードである。
  レナードの眼差しに深い知性を感じたセイヤーが思いついたコミュニケイション手段だった。
  ウィージャボードをレナードに手渡すと、彼は文字をさし示し始めた。セイヤーは最初、レナードが自分の名前 Leonard を綴ろうとしているのかと思った。だが、結局レナードが表記したのは「 Rilke Panther 」だった。オーストリアの詩人、ライナー・マリーア・リールケの「パンター(豹)」という詩篇を伝えたかったのだ。

  そこで、セイヤーはリールケの詩篇を図書館で借りだして、動物園に行った。豹の檻の前で詩を読みながら考え込んだ。この詩は、檻に閉じ込められた豹は、檻のなかを回り歩くだけで、何ひとつ自分の意思による活動ができない、つまり束縛され自由を奪われているがゆえに、その意思は失われているも同然だ、と謳っている。
  セイヤーは深く考え込んだ。
  つまり、レナードは身体の自由が奪われた症状のために「檻のなかの豹」つまり「意思なき人間」であるかのようになってしまった、と語っているのだ。しかも、その嘆きをリールケの詩をつうじて表現したのだ。
  並の知性の持ち主にできることではない。麻痺し硬化した身体の内部には、すばらしい知性と感受性を備えた人間=個性が生きているのだ。セイヤーは感動した。

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