レナードの過激なまでの自由への渇望は、あるいは身体の奥底から湧き上がった本能的感性がもたらしたものかもしれない。自分の意思で身体の筋肉を動かすことができるのが、ほんのわずかな期間に限られているという現実を察知して。
治療効果の消滅本能的な危機感からの焦燥だったのかもしれない。
というのは、レナードが反逆を始めた頃から、彼の身体には異変が生じ始めていたからだ。
顔面や口、首、四肢の筋肉の痙攣や不随意運動が起き始めたのだった。痙攣や麻痺は日を追ってひどくなっていった。
はじめはセイヤー博士やエレノアなど、病院スタッフの介助や看護を拒んでいたレナードだったが、状態が悪化するにつれて、ある決心をした。
ある日、レナードは激しい痙攣に見舞われた。介護に駆けつけたセイヤーにレナードは言った。
「ぼくの病状の変化を観察、記録して、この治療の見本経過にしてくれ」と。
この病院の患者たちのなかで最初に投薬治験の対象になったレナード。彼の回復と再悪化の経過は、彼に続いて治療を受けている患者たちの将来の姿を予測する事例になるというのだ。だから、病院スタッフも周りの患者たちも、レナードの様子を見て、それがやがて患者たちに起きるであろう事態に備えよ、という判断だった。
備えといっても、唯一効果的だったドーパミン投与の効果がなくなれば、当時、ほかに手立てはない。だから、せいぜい心の準備、覚悟ということになるだろう。
それまでは自由と自立を過激に求めていたレナードだったが、身体の痙攣や麻痺の頻発化・悪化が進むにつれて、その鋭く冷徹な知性と感性――自己分析と自己抑制の能力――を取り戻したのだ。こうなったら、とにかく、この治験の経過を医療機関によって克明に観察・記録してもらい、将来、この治療法の限界を超えるような、より進んだ治療技術の開発に役立ててほしいという願いを、セイヤーたちに託すことのした。
やがて、レナードは投薬治験を始める以前の状態にすっかり戻ってしまった。一度は自由と自立を再獲得しかけた彼の精神(知性と感性)は、ふたたび硬直し、麻痺した身体のなかに閉じ込められていった。
残念ながら、レナードの予測は当たった。
レナードよりもあとからドーパミンの投薬治療を始めた患者たちもまた、次々に痙攣や麻痺が始り、そして悪化していった。やがて、すべての患者たちが、以前の状態に戻ってしまった。
その後、どれほどドーパミンを投与しても、機能が回復することはなかった。
結局、この投薬治験の経過が明らかにしたことは、
身体の外部からの人造ドーパミンを投与すると、神経伝達物質としてのドーパミンが作用して、一時的に脳の意思どおりに随意筋を動かすような神経伝達経路が復活・回復する。けれども、一定の期間が過ぎると、人造ドーパミンによる神経経路の刺激はどんどん衰弱し、やがて効果は消滅する、ということだった。