セイヤー博士は、レナードたち患者の多くは、意思表示の能力こそ奪われているが、硬直した身体の内部には人並み――あるいはそれ以上の――知性や感性が活動していることを知った。すると、問題は脳全体の麻痺とか認知障害ではなく、意思を随意筋に伝達して身体を動か仕組み=経路の障害ということになる。
このような症状を示す病気のなかにパーキンスン病があった。
中枢神経から筋肉の運動神経に信号=情報を伝達する機能の障害が起きる病気だ。神経伝達物質のドーパミンの生成・分泌・制御の機能が失われていく症候群だ。症状を緩和するために、ドーパミンを補給する薬剤を投与する治療が、すでに当時、広く試みられていた。
ただし、強い副作用があって、当時は神経伝達経路が欠落した系だけでなく全身にドーパミンが過剰に供給されたから、そのほかの全身筋肉が意思に関係なく激しく突発的――痙攣発作したように――に激しく動いてしまうのだ。
そこで、セイヤー博士は、ベインブリッジ病院の麻痺患者たちにも、同じ神経伝達物質の欠落障害が起きているのではないかと考えた。けれども、その考えを同僚に語っても、誰も相手にしなかった。というのも、彼らは、患者たちのほとんどが認知障害に陥ってるとか、意思そのものを形成する脳の機能が壊れていると考えていたからだ。
脳内の神経回路でも脳内ホルモンの化学作用で情報伝達がおこなわれていることについては、知見がきわめて不足していたのだ。
そんなある日、セイヤーはある大学――NY州内かコネティカット州か、あるいはマサチューセッツ州か、NY近隣にはいくつもの有力な大学がある――で開催された学会で、「T−ドーパ」というドーパミンを主成分とする治療薬の開発・治験報告がおこなわれることを知った。で、さっそく行ってみた。
何しろセイヤーは「学術研究の虫」である。作業仮説が決まったら、弛みなく追求突進する。報告者は薬学の研究者だった。セイヤーは、彼の報告が終わらないうちに質問をしてしまった。あまりに強い問題関心を抱いていたため、「普通の社会のマナー」を忘れて、突っ走ってしまったのだ。
恥をかいたセイヤーだが、報告会が終わると、研究者を追ってトイレットまで後を追っていって質問を投げかけた。
「パーキンスン病の症状としての痙攣よりも、ずっと強い痙攣が首とか腕とかの筋肉系統の全般で生じたら、完全な麻痺や硬直が起きるのではないでしょうか?
だとすると、ドーパミンは症状の治療効果があるのでは…」と。
薬理学者はそっけなく、つっけんどんに答えた。
「私の専門は薬理学です。あなたは臨床医でしょう。だったら、その質問の答えは、あなたが出すべきだ」と。