レナードの朝 目次
33年後の目覚め
原題と原作
見どころ
あらすじ
珍奇な臨床医の誕生
患者たちの奇妙な反応
レナードとの出会い
《Lドーパ》投薬治療
  Lドーパ投与の学会報告
  レナードの投薬治験
快挙に沸く病院
スポンサーの説得
レナードの自立心と反抗
  身体の自立と精神の自立
  反抗と病院の秩序
治療効果の消滅
  パイロットケイス
  Lドーパ投与治療の限界
私の経験に即して
身障者の介助活動
その一歩が踏み出せる幸せ!
おススメのサイト
異端の挑戦&医学ドラマ
炎のランナー
ドクター
医療サスペンス
コーマ
評  決
信州散策の旅サイト
松本街あるき

私の経験に即して

  ところで、この映画で取り上げたトピックに近いものを私は体験したことがある。もとより、幸いにも患者としてではないが。
  今から25年くらい前、東京にいたとき、私は余暇活動として、心身障害者介助のヴォランティア活動をしていた。ちょうど民間企業に勤め始めた頃からで、家族の事情で大学院(博士課程)を辞めたのち、それまで数年間「投げていた」人生を再構築しようと模索していた頃だった。

  私が博士課程で何を研究していたかについて興味のある人は、論文のサイト《世界経済における資本と国家、そして都市》にアクセスしてみてください。
  ヨーロッパ中世以来の資本の世界市場運動と、しだいに形成されていく国民国家の法体系・統治秩序とのぶつかり合い、相互作用についての歴史研究です。

身障者の介助活動

  さて、私は都内のある区のヴォランティア連絡会(V連)に登録=所属して、区内の心身障害者の社会参加や文化活動、通院、施設通所などに関して、たとえば車椅子補助とか視覚障害者の介助ガイドなどの介助や裏方を務める仕事をしていた。だいたい2週間に1度のペイスで、数時間から日中いっぱいくらいの時間帯をそういう身障者解除活動に充てていた。
  企業社会に違和感を感じていて、どれほど仕事をしても自分の居場所がないと感じていたせいかもしれない。

  自分の人生を立て直すために、身障者福祉の世界を体験してみよう、そういう世界の人びとと出会う機会を得ようとしてのことだった。結果的に「人助け」につながったが、要は自分の興味・好奇心とか世の中を見つめ直す機会にしようという、自己中心的な動機からだった。
  それでも、私の行動を補助・介助として役立ててくれる人たちがいれば、いいかなと思ってのことだった。

  V連のまとめ役の人たちは、「それでいい」「自分の興味や関心に応じて、無理なくやってください」ということだったので、気軽に始めた。その活動のなかで、私はマーケティングや経営管理の実際・実務のかなりをを会得した。ニーズの発掘やニーズへのマッチングの心得を。


  で、そういう介助の対象者のなかに、パーキンスン病で肢体機能が不自由になったために、療養・リハビリテイション施設への通所の手伝い(車椅子を押したり、通所屋帰宅のときの動きの介助を必要とする人がいた。
  私の活動は、「ニーズ対応」介助で、試験的な介助を1度やってみて、相手に気に入ってもらえたり、安心してもらえたら、続けてニーズに対処してV連から要請が来るというものだった。
  介助を始めてから数か月くらいたつと、その人は打ち解けてくれた。私が、物事に動じないで、ビズネスライクに介助や会話、安全対策を淡々とおこなうことを評価してくれたらしい。やがて、その人の自宅に上がってお茶の時間を過ごし、そのさいに進行する症状に対抗して随意筋運動機能の回復のための薬剤を服用する場にも立ち会うようになった。

  その薬剤には、ドーパミンが含まれていた。もちろん、映画の時代から20年以上も経過しているので、治療薬はかなり改良され、進歩している。そして、治療効果はずっと長続きするようになった。だが、人工的な神経伝達物質を外部から――しかも一度にかなりの量を――補給するという点では、同じだった。ドーパミン類には、分子組成が少しずつ異なるものがあるのかもしれない。

  ところが、パーキンスン病は進行性の病気だ。病気がしだいに進行していくと、それまでの薬剤・ドーパミンの分量では効果がかなり弱くなってしまうということだった。そこで、薬の分量・濃度はしだいに大きくなり、その分、副作用もまた強く出るようになるのだ。
  副作用とは、服用後、一定時間が経過するまでは、痙攣や自分の意思から独立に(勝手に)筋肉が――場合によっては跳び跳ねるように激しく――動いてしまう状態が起きることだ。
  その人は、その痙攣や筋肉の勝手な動きが、普通の人びとに衝撃を与えるようなものだと考えていて、他人には見せられないと言っていた。だから、私の性格というか「人となり」に確信を持てるまでは、服用後の状態を見せることはなかった。

  私は、服用後の状態を見ながらも、努めて平然と――同情や憐憫を見せることなく、冷たいくらいにビズネスライクに――「健常者」と接するように会話を続けた。その人は、服用後のひどい痙攣や意のままにならない動きの状態にありながらも、意思や思考はごく普通・正常だった。だから、会話や意思の疎通には何の障害もなかった。
  正常で鋭敏な感覚と思考をともないながら自分の体が衝撃的なほどに勝手に動く状態を見るのは、本人には凄く辛かったかもしれないと思う。しかし、完全な麻痺状態に陥る事態を当面避けるためには、その治療法しかないということだった。

  だが、やがて、私の介助ではもはや通所や日常生活を手助けできない状態にまで、病気は進行した。だから、私が呼ばれることはなくなった。だから、その後どうなったかという経過は知らない。私の心には、その経験が重くしこりのように残されている。

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