《犯罪》の認識論 目次
犯罪捜査の認識論
取り上げる映画作品
私たちの視座
オックスフォード連続殺人
  ヴィトゲンシュタイン
  事件の実体を隠すために
  連続事件の舞台 その1
  連続殺人の舞台 その2
  招き寄せられた惨劇
  マーティンが見出した真実
認識論をめぐる論争
カオス(ケイアス)
  増えていく死体
  背後に潜む策謀
  高跳びするコナーズ
犯罪(捜査)と認識論
一般自然科学と数学
後追い的な真理への接近
ピュタゴラス教団について

おススメのサイト
英国のエリートに関連する物語
炎のランナー
英王室がらみの物語
バンクジョブ
ブ ロ グ
評論「シン・ゴジラ」
信州の旅と街あるき

犯罪捜査の認識論

  典型的にはアーサー・コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズに見られるように、《犯罪捜査》は実に面白い物語として描くことができる。映画やテレヴィ・ドラマでもしかりだ。
  人間の知的な精神活動としての側面における《犯罪捜査》は、証拠を集積して分析し関連づけ、状況や動機を推理しながら――犯罪の手口や因果関係など――隠された事実関係を解明する独特の認識過程である。そこには、しかるべき方法や作業手続きというものがある。
  というような意味では、犯罪捜査は、法則性や真理を解明する科学の方法論や認識論による分析や考察の対象にもなりうる。それゆえまた、哲学的分析や認識論の方法との類推・類比アナロジーで、犯罪捜査の物語を語り描くこともできるだろう。

  犯罪とは、他者の身体、精神、生命、財産を棄損する行為を意識的・意図的におこなうことだ。それによって、市民社会の安定性や秩序は部分的に破壊され撹乱される。ゆえに、市民社会の秩序の安定性を担保する国家(政府)によって摘発され、処罰される。犯罪者――有罪を確定された者――は、国家によって自由権を奪われ、科料を貸され、あるいは投獄などによって市民社会から一定期間または永続的に排除されることになる。
  であるがゆえに、犯罪を企図するものはまず例外なく、犯罪行為を隠蔽または事実関係や経過を偽装して、犯罪の事実や自らの関与を見えないようにする。したがって、隠された事実関係や事実経過、動機などの状況を探り出し解明する捜査が必要になる。
  それでは、自然科学などの人間の知的探究活動についても問われるように、
いったい犯罪捜査は隠された真理・真実を完全に解明することができるのだろうか。また、人びとは、どのように真理や真実を探り出し解き明かしていくのだろうか。そして、知的活動としての犯罪捜査の限界はどこにあるのか。
  というように、犯罪捜査についても認識論や論理学の視点から、その方法論あるいは推論の経過や組み立て方について分析し解明することができだろう。

取り上げる映画作品


  今回ここで取り上げる作品は2つ。
  1つ目は『オックスフォード殺連続殺人(2008年)』。
  原題は The Oxford Murders (意味は「オクスフォードでの複数の殺人事件」)で、こちらの方には原作となった小説がある。アルヘンティーナ(アルジェンティン)の数学研究者でもある作家グイリエルモ・マルティネス著『知覚不能な一連の犯罪』(2005年刊)―― Guillermo martínez, Crímenes Imperceptibles, 2005, Algentina ――がそれで、題名の通り「感知できない犯罪」の物語だ。
  映画の物語は、関連性が読み解けない連続殺人がテーマ。犯罪者は現場に数学的な意味を持つシンボルを残していくのだが、それぞれの事件は通常の犯罪捜査では共通性や関連性が解明できないものだった。オクスフォードの大学院生が指導教授と張り合いながら、残されたシンボルの記号論的意味合いを読み解くことで、その次に起こる殺人を予見し阻止しようと奮闘するというものだ。

  もう1つは、『カオス(2005年:公開は2006年)』。原題は Chaos (意味は「秩序や法則性が見出せない混沌状態」)で、「カオス」はラテン語読みで、英語(アングロ=アメリカン)読みでは「ケイアス」。
  この作品でも、何の関連性もなく無秩序に発生する一連の事件の背後にある傾向性を解明できるかどうかがテーマとなっている。こちらには原作に当たるものはないと思われる。

次のページへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済
SF・近未来世界