しばらくしてから、マーティンは別の角度から一連の事件を眺めてみた。すると、これまでの推論とは違った結論を導くことができることに気づいた。
それは、病院での老人の死とガイ・フォークスデイの夜のトロンボーン老奏者の死についての見方だ。
2人とも身体がひどく衰弱していて、いまさら殺害する意味がない――間もなく寿命が尽きようとしている――人びとだった。あえて殺害する必要がなかった。
殺害の必要があるとすれば、それは犯人のセルダムに対する挑戦としての意味を持つだけだった。
だが、セルダムへの挑戦という意図は証拠もなく証明できないもので、セルダムが語ったことを状況証拠として警察やマーティンがそう解釈したにすぎない。
そして、死んだ老人2人とも殺害の手口が解明されていない。老衰や病状による「自然死」と判断してもよいものだった。
そのことから、マーティンは、2つの事件は殺人事件ではないという結論にすべきだと考えた。誰かが殺人事件を偽装したのではないか。
すると、実際に起きた事件は、老イーグルトン夫人殺害とフランクによる障害児バス襲撃殺害という2つになる。そして、フランクがイーグルトン夫人を殺害する動機は見当たらない。
ところで、2つの偽装事件について謀殺事件と判断する材料を与えたのはセルダム教授の証言と現場に残された「記号」だけだった。つまり、セルダムが2つの事件を殺人事件に仕立て上げたということになる。
マーティンはセルダムにこのような疑問をぶつけて問い詰めた。
すると、セルダムは2つの事件の偽装を告白し、その背景を説明した。
ジュリア・イーグルトンの殺害は娘のベスによるものだった。衰弱と認知症が進んだ母親の世話に疲れていたベスは、マーティンに恋をした。だが、これまで、ベスは母親の世話のために恋愛や別の町での就職をあきらめ続けてきた。だが、マーティンの出現で我慢の限界に達してしまった。
あるとき、母の辛辣な暴言に我を忘れて母親の首を絞めて窒息死させてしまった。そこにセルダム教授が訪れた。
狼狽したベスはセルダムに告白のメモを渡した。
事情を知ったセルダムはベスに自首を思いとどまらたせて、事件を連続殺人事件に偽装してベスの逮捕を妨害する計画を立てた。そして、あえて殺す必要がない2人の老人たちの老衰死を殺人に偽装して、警察の捜査をミスリードした。
その結果、フランクによる障害児バスの襲撃事件が偶発的に起きて、一連の事件はフランクによるものと判断されることになった。
容疑の晴れたベスは、ロンドンのオーケストラにチェリストとして職を得た。母親の世話で自分の人生設計を諦めていた若い女性の再出発を可能にした。
しかし、マーティンは、その偽装工作の結果、娘の臓器ドナーを必死に求めていたフランクが障害児バスを襲って罪のない5人の子どもたちが殺されてしまったではないか、とセルダムを責めた。フランクの動機は、セルダムが仕立て上げた連続事件がきっかけとなって発生したのだ、と。
数論を土台に認識論を展開してきたセルダムが、犯罪捜査という真実の探査=認識活動に虚偽の状況証拠を持ち込み、虚偽の連続殺人を偽装し、真実の発見や探索を捻じ曲げ妨害したのだ。真摯な態度での真理・真実の発見を研究の課題としてきた学者が、事件の真相を隠蔽し捜査を妨害して事実捻じ曲げる行為をおこなったわけだ。
マーティンはセルダムへの敬愛の念がすっかり冷めてしまった。
というよりも、客観的事実や真理の発見や認識の過程にかくも安易に利害や悪意が介入介在しうる現実に嫌気がさしてしまった。そのため、博士論文を書き上げるという意欲が失せてしまった。
こうして、マーティンは深い失意のうちにオクスフォードを去る決意をすることになった。