やがてガイ・フォークス・デイの夜――ガイーフォークス・ナイトと呼ぶらしい――がやって来た。イングランドでは、11月5日は反逆者ガイ・フォークスの記念日で、その夜に人びとはガイ・フォークスの仮面をかぶり仮装して楽しむ。
1606年のその日、王権はガイ・フォークスを公開処刑した。
宗教改革でプロテスタント王権が統治するようになったイングランドでは、カトリック派を迫害していた。カトリック教徒はそのような王権レジームに反発していた。1605年11月、ガイ・フォークスを含む反プロテスタントの反逆者グループがイングランド王や貴族院議院らを毒殺し、ロンドン中心街を爆破しようとしたという罪科で捕縛された。拷問による糾問の末に罪科を認めたとして、ガイ・フォークスらは翌年の11月絞首刑に処された。
それ以後、処刑の日は記念日となって、王党派の側でも、反乱派の側でも、それぞれの理由をつけて祝う祭日となったという。
現代では記念日の夕刻から、多くの市民たちが仮装して集まり、パーティや舞踏会を開く風習になっている。
オクスフォードの町でも、学寮や街頭、広場には、仮装した学生や住民たちが集まっていた。街の中心街の広場では、地元の管弦楽団によるコンサートが開かれていた。楽団には、殺されたジュリアの娘で、チェリストのベスが参加していた。
この地の風習に慣れていないマーティンは、普段の格好のままお祭りに出かけてきた。仮装をていない彼は、むしろ奇異な存在と見なされた。
それにしても、町中の人びとが魔法使いや大貴族、悪魔や怪物姿の仮装をして集い踊っている様子は、いかにも異様である。
概して人びとは、歴史的事件の記念日としてのガイ・フォークス・デイの意味を考えるというよりも、この行事を機会に日常生活の単調なリズムから抜け出そうと欲しているようだ。ことに古い歴史の重みを受け継ぎ、伝統的な風習や慣習・因習に倣って暮らしているオクスフォードのような町では、日常性からの脱却の願望が強いのかもしれない。
だが、そういう特別の行事に置いて日常性から離脱するというパタンーン化された行動スタイルそれ自体が、抗いがたく固定化した因習のようではないか。慣習に沿った祭りに人びとが嵌めこまれることで、既存の秩序は再生産されていくのではなかろうか。
そうではあっても、怪異な事件が起きそうな非日常的な雰囲気を演出するには、うってつけの状況である。
オーケストラの演奏が最高潮に近づいた頃、学寮の屋上で異変が起きた。
シルクハットの怪人――メフィストフェレスか――の姿に扮した人物が、奇声を上げながら、学寮の屋根の上を早足に歩き回り始めた。
怪人の正体がユーリイだと気づいたマーティンは、大声で周囲に警告を発した。
同時に、その場に警戒のために張り込んでいた警察隊も、その不審者を発見して、学寮の屋根に昇って、怪人物の追跡を始めた。ドタバタ劇のような屋上での追いかけっこ。
結局、追い詰められた怪人物は、警官に取り押さえられた。仮装を剥ぎ取ると、ユーリイ・イヴァノヴィッチが現れた。
群衆が屋上での椿事に気を取られているそのとき、舞台のオーケストラで異変が起きた。高齢のトロンボーン奏者が息を詰まらせて倒れたのだ。心臓発作によって、老人はほぼ即死状態だった。そして、彼の譜面の上には例の記号列の3番目のマークが置かれていた。
これによって、警察は連続殺人の3番目の事件と位置づけて捜査を始めた。警察が睨んでいた一番怪しい容疑者はユーリイだったが、事件発生当時、ユーリイは屋上で警官に取り押さえられていた。したがって、容疑者のあてはまったくなかった。
死因解明のための検死解剖がおこなわれる前に、警察は連続殺人を意味する「象徴=記号」に引きずられて、捜査の方向をさらに固定化してしまった。捜査人の視野がますます狭まっていく。