このように変わっていくモンターグを遠くから観察する人物が2人いた。1人はクラリス、もう1人は初老の女性だった。モンターグの変貌を期待し、遠くから見守るように観察していた。
初老の女性は、当局の弾圧や抑圧を巧みに逃れながら読書を続けようとする秘密結社のための「地下図書館」の運営者だった。自分の家屋に無数の図書を保管し、仲間たちに貸し出していた。
ところが、当局の捜査(密告の強制)によって、この秘密の図書館の存在が発覚してしまった。情報はただちにファイアーマン・オフィスに伝えられ、ファイアーマン部隊が出動することになった。モンターグもいつもどおりに任務に就いた。
部隊は初老の女性の家に到着し、すぐさま屋内を捜索し、大量の書籍を発見し、1階の今に突き積み上げた。
隊長は焼却用オイルを書籍の山に振り撒き、焼却の準備を始めた。
そのとき、初老の女性がファイアーマンの手を振りほどいて、書籍の山の上に登った。ファイアーマンたちは彼女を捕捉して、書籍から引き離そうとしたが、無駄だった。むしろ、彼女がマッチ箱を取り出して、自ら自分の足元の書籍に火をつけた。逃げようともしなかった。
彼女の目には、強い意思が込められていた。本が禁圧され焼き尽くされる社会には、愛想が尽きた。本とともに焼け死のう、という決意が込められていた。そういうプロテストの方法を自ら選び取ったのだ。
その姿にファイアーマンの隊長さえ、強い衝撃を受けた。
だが、誰よりも深い衝撃を受けたのは、モンターグだった。書籍と読書に対する愛着がこれほど強いとは。
いや、それは、読書や書籍への愛着というよりも、「生き方」として具体化された思想あるいはレジーム選択をめぐる政治的意思の問題だったのかもしれない。
ところで、この事件の前後、隊長はモンターグの心境の変化に気づいたのかもしれない。それとなく、本に対する興味を抱くのはファイアーマンとして避けられないことだが、深みにはまるなと警告した。
「小説や本の物語というものは、じっさいにありもしない虚構の事柄を描き出して、今の現実とは異なるものを求めるようにしたり、現実を批判するように仕向ける。虚しくて有害なものだ」と。
妻のリンダもモンターグに、書籍を密かに溜め込んだり、読書したりするのはもうやめてくれと訴えた。というのも、読書と本の保有は、非合法の政治犯罪(反逆行為)だからだ。当局の言い分を鵜呑みにしているのだ。
そういう場合、「わかった。本は全部捨てるさ。すっかり読んでしまったらね」というのが、モンターグの返事だった。