華氏451 目次
本が燃える日
原題について
時代背景と原作者の問題意識
ファーレンハイト
モンターグ
クラリス
日常性と秩序への疑問と批判
「本とともに死す」
迷うモンターグ
反   逆
「本の人びと」
映像作品としての特徴
原作の物語世界と映画
「核の冬」について
おススメのサイト
異端の挑戦
炎のランナー
医療サスペンス
コーマ
評  決

映像作品としての特徴

  ここでは、「華氏451」の映画作品と原作とを比較しながら、映像作品としての特質を分析し、また、この作品が描き出そうとした問題をあれこれ考察してみよう。

  映画の物語は、原作の物語とはずいぶん変えて独特の作品に仕上げてある。
  その比較は後回しにして、映像そのものについての印象を取り上げてみる。
  映画が想定している社会、未来のアメリカ社会のレジームは抑圧的な全体主義で、情報統制がいきわたっている、重苦しい状況である。
  ところが、映像に描かれる社会の様子は、アメリカ的というよりはヨーロッパ的な落ち着きが感じられるものになっている。というのも、資本はハリウッドだが、監督はフランソワ・トゥリュフォ( Truffaut )で、美しい芝生や樹林に囲まれた住宅地はイングランドで、未来的なモノレイルが走る光景はフランスでロケイション撮影されたからだ。


  やたらに凝った特殊撮影効果やCGグラフィックスを駆使した、いまどきのSFと比べると、50年以上前のこの作品は、「これ見よがしの未来の風景」をまったく描かない状況設定になっている。その当時のヨーロッパにある落ち着いた都市近郊(樹林に囲まれた住宅地やモノレイル)の風景だけが描かれる。
  住宅のなかには、部屋ごと区画ごとに電話があり、横幅2mくらいのワイドテレヴィスクリーンが設置されている。だが、未来都市の姿は全体としては描かれることがない。
  だが、民衆が監視され、読書や自立的な思考や批判が封じ込められている社会状況は、的確に描かれている。
  状況設定は、トゥリュフォの映像制作手法のせいか、きわめてシンプル。台詞もきわめてシンプル。必要最低限度の言葉しか交わされない。その分、観る側の創造力、構想力を求めている。あるいは、原作を読むことを迫っているのかも。

  シンプルな映像であるため、観る側は、むしろ主題に集中して発想をめぐらすことになる。これが、1960年代の映画手法だったのだ。
  SFXを駆使して巧妙につくり上げられた現代の――説明過剰な――SF映像に比べると、貧相なくらいに見えるが、私はこういう映像も好きだ。
  現代の映像は、その努力は認めるが、映像の細部にまでおよんで発信表示する情報量があまりに多すぎて、その理解に時間がかかる。だが、考えていると、物語はどんどん進んでしまうので、中途半端な見方に終わることも多い。
  だから、物語の文脈や背景を、映像の動きや流れとともに、大づかみに理解しながら鑑賞するには、この映画のような描き方は好適だといえる。

  一方で、当時の映像技術では、原作が描く未来都市・未来社会の様子を描くことは、非常に困難だったという客観的状況による制約はあっただろう。

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