委員会が終わると、フォイルは送迎を担当したサマンサをともなって夕食を取るために、近くのイタリア料理店に立ち寄った。
店の主人、カールロ・ルチアーノはフォイルとは30年来の友人だ。フォイルはときおり亡き妻と一緒にカールロの店で夕食を取るのを何よりの楽しみにしていた。
カールロは30年以上も前に、南イタリアのナーポリから貧しさを逃れるためにブリテンに移住してきた。そして大変な努力をして、ヘイスティングズでレストランを開業するまでになったのだ。
カールロには一人息子、アントーニオがいた。彼はカールロの助手兼ウェイターとして店を手伝っていた。
ブリテン生まれのアントーニオは、フォイルの連れのサマンサが気に入って、気取ったイタリア語で話しかけた。そして、店からの帰り際に、サマンサを近くのパブでおこなわれる予定のダンス夜会に誘った。
アントーニオはハンサムな青年だが、サマンサの好みではなかった。だが、生真面目で自分の弱さを自覚している好青年だという好感を持った。
アントーニオはサマンサに悩みを打ち明けた。
「兵役に志願しようと思うのだが、父親にはなかなか話し出せないでいる」と。
一方、父親のカールロは内気でおとなしすぎる息子を心配していた。
「あいつは料理店の仕事を気に入っているようだが、あの気の弱さでは店を受け継いで経営するのは無理だろう」と。
アントーニオには、高校の同級生で非行の経験のある幼なじみ、ヒュー・リードがいた。リードには、財布を奪おうとして持ち主に怪我をさせた強盗傷害の前科がある。初犯だったが、裁判でガスコインは執行猶予とはせずに少年院に送る判決を下した。
そのため、リードはガスコイン判事を恨んでいた。
さて、ガスコイン家には、政府の指示でロンドンから疎開してきた11歳の少年、ジョウがいた。
政府はドイツがブリテン本土への空爆を準備している情報をつかんでいたため、ロンドン在住の10~12歳の学童や身体障害者などを地方に疎開させる政策を講じたのだ。
とはいえ、政府は疎開に応じた学童たちを機械的にグループ分けしてあれこれの地方都市に列車で輸送するだけで、疎開先での受け入れ先までは手配しなかった。受け入れ先の自治組織が、それぞれのやり方で学童の引き取り手を募集するだけだった。
ジョウは風変わりな少年であるため、ほとんど友達がいない。周囲の人びとに打ち解けることはないし、周囲の大人たちもジョウを理解できない。それゆえ、父親エリックは疎開に反対したが、母親が愛児の安全のためだと訴えたので、心ならずもヘイスティングズへの移住を受け入れたのだ。
父親が心配するように、ジョウはずい分変わり者の少年で、いつでも1冊のノートと鉛筆を持って、あらゆる事柄を調べてはノートに書き込んでいた。
彼は刑事になったつもりで、目に入ったすべてのことを自分なりに調べ回って記録していたのだ。疎開先のヘイスティングズでもその奇妙な行動をやめなかった。
しかし、その行動はガスコイン家の人びとには非常に気障りだった。
当主のローレンスや妻のエミリーが注意しようとしても、ジョウは逃げ回っていうことを聞かないのだ。
そんな変わった少年を、ガスコイン家の一人娘、スーザンはたいそう気にかけていた。
政府の疎開政策でヘイスティングズに移されたものの、変わり者で可愛げがないジョウは誰も引き取り手がなかった。それを気にかけたスーザンが、戦時政策への協力をすべきだと両親を説き伏せて、屋敷に引き取ったのだ。
どうせ、広壮な屋敷には部屋があり余っているのだからと。
そんな、ガスコイン一家が暮らしているのは、富裕な大貴族が住むような邸宅だった。屋敷には何ヘクタールもあるような広壮な庭園があって、そこにはガスコインの書斎となっている離れ屋があった。