■原題 A Lesson in Murder ■
NHK・BSでは第3話を「兵役拒否」という題名で放送したが、原題は上記のとおり。
「レッスン」という語の意味は大変に幅広い。
普通は「授業で課業として学び練習すること」を意味するが、「経験や思考から教訓を得ること」という意味もあるし、そこから転じて、ある経験や事実が私たちに語りかけてくることをも意味する。
そこで、原題の意味合いは、「人殺しの学習」「人殺しを学ぶ授業」、あるいは少しひねって「殺人事件が語るもの」とでもなるだろうか。
ところで、この言葉自体は、物語のなかで兵役を拒否する平和主義者の若者が徴兵に応じて軍役につくことを「殺人を学ぶ授業」だと言い切って、兵役を拒否した場面から取られたものだ。
だが、物語全体を考えると、殺人事件から得られる苦い教訓という意味合いにもなるかもしれない。
第2話では、ファシストが「反戦・平和運動」を偽装して親ナチス・反ユダヤ主義運動を展開する様子を描いたが、第3話は、フォイルの殺人事件捜査と絡めて、思想・信条から真摯に反戦・平和運動に取り組む人びとを描く物語になっている。人が自分の利害・利欲のために意図的――自発的な行動の選択として――に人を殺害する殺人犯罪と対比させて、「兵役の拒否」というものを描くことによって、市民にとっての戦争の意味を深く問いかける物語となっている。
その一方で、今回もまたエリート階級の優越感・特権意識や傲慢さを鋭く抉り出す。エリートの観念や意識が彼らの家族や社会に対する見方や意識を方向づけるのだが、それらは往々にして古臭くて、堅苦しくて時代遅れになっていて、ことに若い世代にとっては手枷足枷(桎梏)になっている様子を描いている。
さらにまた他方では、戦時体制下で敵国への反感や憎悪が増殖して、一般民衆の排外的なナショナリズムが醜悪なまでに膨張することに対する冷徹な批判も込められている。
1940年6月のある朝、ヘイスティングズ警察署でのこと。前日に収監されたデイヴィッド・ビールが、拘置されていた監房で自ら首を吊って死亡しているのが発見された。
デイヴィッドは真摯な平和主義で、良心的兵役拒否者 conscientious objector だった。 しかし、彼の兵役免除の申し立てが、裁判でローレンス・ガスコイン判事によって斥けられたうえに、拘束に抵抗したためヘイスティングズ警察署の収監房への拘置を命じられた。
そして、デイヴィッドの自殺は、警察署では収監手続きに際して、警官に殴打され、消化ポンプの強い放水を浴びせられたあとのことだった。
ローレンスを虐待(暴虐)した警官は、ヨーロッパ戦線で弟がひどい傷を負ったことへの「腹いせ」――つまり命をかけて戦役に赴くものも多いのに、それを拒否するのは卑怯で敵を助ける裏切りだということ――のつもりだった。
つまり、下級の警察官を含む庶民階層には、開戦とともに排外主義的な感情があたかも「愛国心」であるかのような意識状況(虚偽意識)が蔓延し始めている状況にあるわけだ。国外の戦線で身内や知り合いが死傷する経験を経るごとに、こういう排外主義や好戦的な気分が浸透拡大していくのだ。