当時のブリテンの判事職層は、いわばスーパーエリートで有力貴族の家系または富裕なエスクワイアや大地主で、大概は広壮な邸宅を所有し、それこそ地平線の彼方まで続く農地や大庭園を所有する特権階級だった。
だが、なかには経済的な活力を失い、没落していく家門もあった。農場の経営に失敗したり、金融投資に失敗したりして、財政がひっ迫する者も多かった。没落していく家系の代わりにエリート・サークルに入り込もうとする成り上がり者たちはつねに大勢控えていたから、弱体化した家門が消えてもエリート階級総体の勢力が弱まることはなかった。
ガスコイン家はその名前―― Gascoigne :フランス読みで「ガスコワーニュ」――からすると、フランス出身の古い貴族家系の末裔らしい。それにふさわしい広壮瀟洒な領主館風の邸宅で暮らしている。敷地と庭園もも広い。
とはいえ、借財を重ねてきたらしく、所領農場は大半がすでに人手に渡っているらしい。
当主のローレンスは若い頃に法律家として成功したことで、かつて名門貴族だったガスコイン家門の娘エミリーと結婚し、ガスコイン家を継ぐことになったらしい。
しかし、名門貴族だったという過去の栄光にしがみついて、広壮な邸宅を維持するために、毎年多額の費用を支出することにはローレンスは反対していた。収入相応の家に移るべきだと主張していた。
ところが、名門貴族の血を引く妻は気位が高く、誇りや体面を捨てるようなことには強く抵抗してきた。ローレンスは頑迷な権威主義者で家父長主義者だったが、妻には逆らうことができなかった。
権高な妻に対して強くものが言えないローレンスは、その分、娘には家父長として厳しい態度で臨んでいた。そのため、彼の娘スーザンの男性付き合いにも反対していた。
スーザンは両親とは正反対で、リベラルな精神を持っていて、つまらない体面や権威を捨て去って、一般市民として生きることを内心望んでいた。
そんなスーザンの恋人は、ピーター・バッキンガムという名の技術労働者だったが、スーザンとともにいるのをローレンスに見つかり、脅されて交際を禁じられていた。
だから、2人は隠れて付き合っていた。
ピーターは、頑迷なローレンスを嫌うと同時に「時代遅れ」としてむしろ軽蔑していた。
こうして、捜査陣が疑いを向けるべき対象者は増えることになった。フォイルは、そんなピーターも容疑者となりうる者として身辺を調べることにした。
というわけで、判事は裁判での高圧的な判決によって恨みを買っているだけでなく、家庭内の問題でもトラブルを抱えていたのだ。