ガンディ 目次
国民形成への苦難の道
見どころ
インド…錯綜した複合世界
「インド洋亜世界システム」
ブリテン東インド会社の進出
会社の支配から国家の植民地支配へ
南アフリカと英連邦
植民地帝国の解体への兆し
インドへの帰還
非暴力=不服従とサティヤガラ
茅屋で木綿を紡ぐ
インド独立への動き
されど断裂するインド
ガンディの苦悩と選択
独立と分裂
独立達成とガンディ暗殺
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国境と国籍性の障壁
マンデラの名もなき看守

インド独立への動き

  第1次世界戦争期から第2次世界戦争期のあいだ――戦間期と呼ぶ――に世界経済におけるブリテンの地位は衰退し続けた。ヘゲモニーはすでに失って久しい。とりわけ海洋権力(制海権)の弱体化は、植民地帝国の維持や世界貿易の組織化能力の保持をめぐるリスクとコストを目立って高めてきていた。
  とはいえ、ブリテン――とりわけシティ・オヴ・ロンドン――は、世界貿易の金融とか保険事業、新興国家の借款(世界市場での公債販売)などに関しては、他の追随を許さないほどの力量を保っていた。
  してみるとブリテンは、実物の輸出入とか世界各地への軍事力の覇権というマテリアルな側面では力を失っているが、貿易金融や保険、インフラ建設をめぐる金融ではなお最優位を維持しているという状況にあったわけだ。
  そうなると、植民地の直接的支配ではリスクとコストが大きくなりすぎてもはや持続できないが、金融による貿易の組織化ではまだまだ優位を保つことができるということになる。

■世界経済での権力闘争と植民地■
  インドについても、ブリテンの支配階級(開明派)のなかでは、軍事力と政治力を絡めた直接的な植民地支配のレジームを組み換えて、貿易や金融をつうじての支配=優越の仕組みに移行させようという構想が前面に出てきた。
  だが、ヨーロッパの諸強国が強面で優位を争う舞台では、「示威」と「こけおどし」がいまだに幅を利かせている。そこで、保守強硬派は、植民地を手放すような政策的選択を許すつもりはなかった。
  「弱みを見せれば、ドイツやフランスにつけ込まれる」と怯えていた。あるいは、既得の利権や権益(とても甘い汁をすすることができたから)を手放す気にはなれなかったというべきか。
  この意地でもメンツを保とうとする守旧的・頑迷な傾向は、急速に台頭するドイツへの対抗上まだまだ幅を利かせていて、さらにまたロシアでソヴィエト政権が生まれてイデオロギーとして資本主義的列強に対する社会主義や民族独立を鼓舞するようになっていたので、ますます危機意識が強まって執拗になっていた。

  転機となったのは、第2次世界戦争の勃発だった。
  ドイツは電撃戦でまたたくまにヨーロッパ大陸を占領征服してしまった。ヨーロッパ大陸のブリテンの同盟国のほとんどがナチスに制圧され、ブリテンの戦線を支える支援と同盟を、ヨーロッパの外部、アメリカと植民地・属領に求めるしかなくなったからだった。
  カナダやオーストラリアなど、ヨーロッパ系白人人種が国家人口の多数を占めるコモンウェルス諸国からの同盟=支援は比較的容易に得ることができた。問題は、人口の圧倒的多数が原住民で、白人政権が専制や独裁によって政権を保っている植民地だった。典型はインドや中東アラブだった。


  ナチスもまた、ブリテンの植民地帝国の弱みを巧妙に衝いてきた。
  ナチス、すなわち「国民社会主義: Nationalsozialismus 」という名称は、ヒトラーたちのプロパガンダのセンスというかキャッチコピー(マーケティング)の巧みさを表している。
  というのも、
  ナショナルティ=ナショナリズム(または国民建設)なるものは、今やヨーロッパ列強の暴力的な収奪=支配に呻吟しているアジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸地域、そして東ヨーロッパの弱小民族が掲げ始めた理想への「表向きの共感」を意味し、
  社会主義は、金融恐慌以来、強欲な資本主義に苦しむ勤労市民や一般民衆に「国家が大資本の権力を抑制して分配の平均化ないし平等化のために介入する」という理想=「夢」=「幻想」を振りまくのに役立った
からである。
  そのため、アラブ地域やラテンアメリカの独立運動の指導者の相当部分が、ナチスに魅了され加盟したり、同盟関係を誓ったくらいである。有名な例では、エジプトのナセルがそうだった(ナチス党員になった)。
  もっとも、彼らは厳しい環境のなかで直観的にナチスの言葉面ことばづらを信じただけで、実体を知っていたわけではなかった。
  それに、植民地的従属からの独立をめざすアジアやアフリカの運動家たちにとっては、ヨーロッパの内部の勢力争いは植民地への圧力を分散するので、大歓迎だったということかもしれない。

  ヒトラーは、こうした宣伝戦を1933年の政権獲得のときから世界的規模で展開していた。
  ブリテンも、植民地に対して大幅な譲歩案を提示していく。
  というわけで、ブリテンとナチスドイツは戦争での味方を増やすために、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの独立運動の指導者や民衆に対して、競って「気前の良い」同盟条件――リップサーヴィス――を提示することになった。

  インドでも独立闘争の指導部は、こういう状況を最大限利用しようとした。戦局が進むにつれて、追いつめられたブリテンの譲歩は大きくなっていった。
  インドは、ブリテン世界帝国(コモンウェルス)の一員として連合諸国に同盟し、多数の兵員と物資を戦線や後方に送り出した。とはいっても、その決定はインド総督が――インドを支配する皇帝=イングランド王の代官=副王として――、インドの多数の政治体や政治勢力とは無関係に(無視して)おこなったものだった。

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