ガンディ 目次
国民形成への苦難の道
見どころ
インド…錯綜した複合世界
「インド洋亜世界システム」
ブリテン東インド会社の進出
会社の支配から国家の植民地支配へ
南アフリカと英連邦
植民地帝国の解体への兆し
インドへの帰還
非暴力=不服従とサティヤガラ
茅屋で木綿を紡ぐ
インド独立への動き
されど断裂するインド
ガンディの苦悩と選択
独立と分裂
独立達成とガンディ暗殺
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炎のランナー
現代世界の格差と差別の問題
国境と国籍性の障壁
マンデラの名もなき看守

「インド洋亜世界システム」

  ところで、ヨーロッパ人たちが近代的軍事力をもってインド洋に進出する以前は、東南アジアからインドシナ沿岸部、インド、スリランカ、マダガスカル、セイシェルなどの群島、ペルシア、東アフリカ、アラビア半島沿岸部にいたる広大な地域は、海洋交易をつうじてゆるやかに結びついた「亜世界貿易圏」を形成していた。
  東南アジアの香辛料やインドの綿織物やペルシアの陶器や宝石などが活発に取引され、豊かな経済圏の集合をなしていた。
  インド人たちは古くから、ペルシアや東アフリカに移住して、貿易商人や工芸職人として現地社会に溶け込んできた。
  その豊かさが、軍事力と癒合しながら拡大するヨーロッパの資本主義を引き寄せてしまった。そして、インド洋沿岸の大半の地域がヨーロッパの植民地支配によって蹂躙されることになってしまった。

ブリテン東インド会社の進出

  ところで、ムガール帝国の権力がインドに浸透し始めるよりも、ポルトガル人によるインド洋とインド亜大陸への進出の方が早かった。
  15世紀末、ポルトゥガルがアジアの特産物――香辛料や陶器、財宝、織布など――を求めてインド洋に進出してきた。そのあとを追って東アジア、東南アジアに進出してきたのがネーデルラントだった。
  ネーデルラントの連合東インド会社VOCは、東南アジアに貿易と海洋軍事力の拠点を築いて、インド洋に入り込み、やがてポルトゥガルを圧倒した。
  そのネーデルラントの商人勢力を18世紀に圧迫し駆逐したのが、イングランド(ブリテン)の東インド会社だ。


  ブリテン東インド会社は王室から貿易独占の特許状を与えられた企業で、貿易独占の特権には、艦隊や地上軍の保有と運用、植民地建設と支配、固有の立法権と裁判権などが含まれていた。
  要するに、世界的規模で海外で活動する国家装置でもあり、経済的・財政的・金融的装置でもあった。
  とはいえ、ロンドンの中央政府の統制は、この会社にはほとんどおよばなかった。というよりも、統制をおよぼすという発想や行動スタイル自体が、その当時はまったくなかった。ヨーロッパ各地の商人や企業家たちが自らを――ひとまとまりの政治的グループ――「国民」として意識し政治的に結集する観念や行動スタイルは、19世紀にようやく確立されたのだ。
  イングランド東インド会社ははじめのうち、ムガール皇帝や地方の太守、王侯たちに巨額の税=運上金を差し出して、域内での商業特権を買い取っていった。やがて、近代的軍事力による威嚇をちらつかせて、商業特権を入手するようになっていった。
  ブリテンによるインドの植民地化と支配のレジームは、東インド会社によって創出され確立されたのだ。

  さて、東インド会社の貿易品目は多品目におよんだ。なかでも巨額の利潤をもたらしたのは、インドでの収奪から得た貨幣で中国から買い入れた茶の貿易だった。
  だが、茶の購入価格は高くて、対中国貿易は赤字を累積していった。その解決策が、アヘン(麻薬)貿易だった。麻薬貿易は密貿易ではなく、イングランド王室御用達の会社の公然たる事業として営まれた。麻薬⇒茶の世界貿易という巨額の資金循環が組織された。

  ところで、東インド会社がインドに拠点を固めた頃から、ムガール皇帝の権力は衰退し始めた。インド各地で太守や王侯たちのあいだでの紛争が頻発するようになった。ブリテン人は、会社の活動――権益や通商拠点の拡大――のために各地での紛争に介入していった。
  紛争を鎮圧することもあれば、貿易特権や土地支配権の引き渡しを拒否する太守や王侯を追い詰め破滅させるために戦争を仕かけるようになった。
  会社の活動に都合のいい太守や君侯を傀儡として押し立てることもあった。ブリテン商人たちは、やがてムガール皇帝をも目先の利益や武力による威嚇で籠絡しながら、インド各地での東インド会社の支配や影響力を拡大していった。
  18世紀末には、とうとうムガール皇帝は東インド会社の傀儡となった。

  19世紀前半までに、インド洋=南アジアにおけるブリテンの植民地支配は、今日のパキスタン、インド、バングラディシュ、ミャンマーのそれぞれ全域を含む広がりにおよんだ。
  会社は、インドでの政治的・軍事的再優位を維持するために、民族や部族、宗教組織やカーストのあいだの対立や反目、格差をとことん利用する巧妙な「分断統治」の仕組みをつくり上げた。さらにインドの民衆をインドで徴募組織した軍隊によって抑圧する仕組みも創出した。
  インドの諸侯国や部族、村々のあいだの分断と格差、そして敵対関係は、もとからあったものというよりも、むしろブリテンの特許会社の活動と権力の拡大がもたらした――あるいは増幅した――結果だったのだ。

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