ところが、ソ連では一般犯罪については対策が甘かったが、他方で政治犯罪、すなわち党と国家の支配=指導の正統性にあからさまな批判や反抗を見せる犯罪行為、政治秩序や国家の保安に対する挑戦に対しては、ソ連国家は執拗で系統的な対策を講じてきた。「社会主義」と「ソヴィエト制」に敵対する行為には、厳格な抑圧と弾圧をもって臨んできた。
弾圧・抑圧のなかには、収監、強制労働などのほかに、精神病棟への監禁、さらには「合法的暗殺」=処刑というものまであった。
これは、党や国家の派閥闘争・権力闘争でいかんなく利用されてきた。そのときの優越する勢力にとって都合の悪い勢力を排除抑圧するために、政治犯罪――政治的冤罪による物理的・社会的抹殺というべきか――の駆逐の手段が利用された。
これは他方で、社会に衝撃を与えた重大犯罪の処罰にも援用された。もはや民衆に隠すことはできないほどに明るみに出た事件を、政治犯罪に準じた扱いにするわけだ。
このような機能は、通常の司法警察――人民警察組織――の上位にある治安・公安装置が担う。すなわち国家保安委員会KGBである。KGBは外交関係や国際的な諜報(防諜)活動にも関与する――国内外の軍事組織がかかわる場合には、軍情報部GRUが関与する。
こうして、通常の犯罪捜査・刑事警察活動の上位部門にKGBが関与することから、人民警察の活動は大きく制約されたり、干渉されたりすることになった。しかも、KGBは国家のあらゆる組織にその監視要員=細胞を送り込んでいるので、人民警察は公式上の外部組織としてのKGBからの干渉に加えて、組織内部に潜入したKGBエイジェントやKGB協力者による情報漏洩や活動の変容・修正にさらされることになる。
この映画では、アルカーディと同僚たちは、捜査活動を幾重にも監視・制約されている状況が描かれる。通常の刑事司法は手足を縛られているのだ。