捜査が始まって早々、検事総局長(将軍)の別荘でパーティがあった。モスクワの党や司法関係の有力者たちに混じって、イアムスコイ検事局長やアルカーディら殺人課の捜査官たちも招待されていた。
そこに遅れてやってきた初老のアメリカ人貿易商がいた。気が遠くなるように高価な毛皮のオウヴァーコートとクロテンの毛皮の帽子――帽子だけでも200万円はする――で身を包み、高級車で乗り付けた。若い美女をともなっていた。
ジョン・ドゥーセン・オズボーンという高級毛皮専門の貿易商だった。その男を笑顔で迎え入れて、アルカーディに引き合わせたのは、イアムスコイだった。
同伴の女性は、イリーナ・アサノーヴァ。モスフィルム(モスクワ映画撮影所)の衣装係助手だった。オズボ−ンとは対照的に、着古したジーンズとジャケットを着こなしていたが、それが彼女の美貌と知性を引き立てていた。
オズボーンは大富豪で、服装はもちろん言動のいたるところに悠揚迫らざる自信、いや傲慢さというべきか、が溢れていた。彼は、モスクワの司法関係者とも対等以上に振る舞っていた。というよりも、党や司法関係者の方が、金持ちのアメリカ人商人に媚を売っていたと言った方が、正確だった。
富豪の貿易商はロシアにドル(西側外貨)をたっぷりもたらしてくれる相手で、外貨こそ、ソ連のエリート階級がその特権を誇示するための西側の――車や電化製品など――消費財を手に入れるうえで不可欠な対価だった。ソ連の権力を担うノメンクラトゥーラは、西側の金融資本権力に従属していることの証左だった。
そんなパーティの主賓から離れて、イアムスコイはアルカーディをベランダに誘った。捜査の初動局面の状況を把握し、当面の方針を確認するためだった。
イアムスコイとの打ち合わせを終えたアルカーディは捜査本部に戻る支度をした。そこに、イリーナが近づいて、帰り道を送ってほしいと頼み込んだ。帰り道は吹雪だった。外気が恐ろしく寒かったので、ソ連製の乗用車の暖房はほとんど効かなかった。車の窓は内側さえも凍りつき、霜が降りてきた。
その帰り道で、アルカーディはイリーナを質問攻めにした。仕事のこと、それまでの経歴、オズボーンとの関係…。ついに、イリーナは腹を立てて、車から降りてしまった。しかし、零下20℃の外気のなかに置いていくのは危険だったので、アルカーディはイリーナを宥めて車の助手席に戻らせた。
さて、その後の殺人課の捜査の進展のなかで、フョードル・ゴロドキンという小悪人の情報屋から、コンスタンティン(コスティア)・ボロディンとその恋人ヴァレーリャ・ダヴィドーヴァ、そしてアメリカ人留学生のジェイムズ・カーウィルの3人が、今回の事件に関係しているらしいという情報を得た。被害者の3人ではないかということだった。
ゴロドキンは、アメリカ人観光客を相手に贋作イコンやそのほかのロシアの骨董品を吹っかけて売りさばいている密売商人だった。彼の商売相手には、オズボーンも含まれていた。
先頃、オズボーンは高い金額を提示して、ロシアの伝統的な櫃(木製の大きな箱)の調達をゴロドキンに依頼した。ところが、ゴロドキンが四苦八苦して櫃を手に入れた途端、注文はキャンセルされてしまったという。
で、今回の被害者かもしれない3人は、ソ連でのオズボーンの毛皮調達に関係しているということだった。ミンクや低級のクロテンを飼育して、それをオズボーンに買い取ってもらっていたようだ。